中興寺(読み)ちゆうこうじ

日本歴史地名大系 「中興寺」の解説

中興寺
ちゆうこうじ

[現在地名]新市町宮内 中興寺

桜山さくらやま城跡の南側にあり、曹洞宗、山号定光山、本尊釈迦如来。開山は鎌倉建長寺第二世仏国禅師、草創は嘉元三年(一三〇五)

中興寺略縁起(「福山志料」所引)によると元弘二年(一三三二)桜山慈俊の兵火に類焼して一山ことごとく灰燼に帰したが、檀越亀寿山かめじゆさん城主宮氏が再興したという。「備陽六郡志」は「亀地山の城主小野々宮氏八代の檀那寺にて、吉備津宮の別当なりし、小野々宮は尼子の旗下なりけるか、第八代目の何某、尼子毛利、岩成合戦の時討死、それより吉備津の別当職も放され、寺領減し衰微に及ひぬ、是迄は臨済宗なりけるか、其後正則(福島)の時に至て、除地悉被取上、断絶せんとしけるか、曹洞の斧山和尚、廃たるを起して相続し侍る」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報