中梓村(読み)なかあずさむら

日本歴史地名大系 「中梓村」の解説

中梓村
なかあずさむら

[現在地名]那須町あずさ

八溝やみぞ山塊北西部の谷がやや開けた山麓に位置し、西流する梓川が西端部で三蔵さんぞう川に合する。北は大畑おおはた村・蓑沢みのざわ村、西は蓑沢村伊王野いおうの村。三蔵川沿いに北上する関街道から分岐西進する道が村の中央部を通り、東方戸中とちゆう峠を越え陸奥国白河郡棚倉たなぐら(現福島県東白川郡棚倉町)に通じた。近世を通して旗本芦野領。近隣の下梓村吉野目よしのめ村のほか数ヵ村の名主を当村名主が兼帯する場合も多く(明治二年「村役人名面書上帳」神田恵吉文書など)、梓村として一村に扱われることもあった。慶安郷帳では田高二四石余・畑高二七石余。改革組合村では高一九五石余、家数九。梓村として奥州街道芦野あしの宿の定助郷であったが、天保一〇年(一八三九)それまでの助郷負担軽減運動が実って七八石余が休役となり、勤高は一九四石余となった(「芦野宿助郷議定書」松本稔文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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