中小河原村(読み)なかこがわらむら

日本歴史地名大系 「中小河原村」の解説

中小河原村
なかこがわらむら

[現在地名]甲府市中小河原町・中小河原一丁目・伊勢いせ二―四丁目・住吉すみよし一―二丁目・同五丁目

あぜ村の南にあり、北西遠光寺おんこうじ村。西をあら川がほぼ南へ流れる。対岸巨摩郡上小河原村と東隣の下小河原村とは一村で巨摩郡に属していたが、荒川の流路が変わって分断され、慶長(一五九六―一六一五)の頃までに東岸の人戸がさらに分れて二ヵ村となったという。家居は下小河原村境付近にあった。「一蓮寺過去帳」には康永(一三四二―四五)から嘉慶(一三八七―八九)頃の七月七日供養の金阿弥陀仏に小河原の注記がある。また長禄元年(一四五七)一二月二八日の小河原合戦で討死した者の名がみえる。この合戦は享徳四年(一四五五)の守護武田信守没後、九歳で家督を継いだ信昌方と、実力に優る守護代跡部氏方で争われたもので、小河原および馬場で合戦があった。馬場については比定地未詳。この合戦では大膳介・河東右京・山県出雲守・長谷部越前・白洲蔵人・吉田孫三郎・原衛門四郎らが討死している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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