中之川村(読み)なかのかわむら

日本歴史地名大系 「中之川村」の解説

中之川村
なかのかわむら

[現在地名]松野町豊岡とよおか

吉野よしの川の小支流みや川に沿う村。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「中ノ川村 深山つゝき茅山有」と村名が異記される。次郎丸じろうまる村の付村で、宝永三年(一七〇六)の「大成郡録」には「次郎丸村中之河村」とあり、庄屋は次郎丸村庄屋渡辺氏の兼任であった。天明二年(一七八二)宮川みやがわ村と改称された。

中之川村
なかのかわむら

[現在地名]広見中野川なかのかわ

奈良なら川下流右岸の村。東はしば村、西は奈良村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「中ノ川村 茅山有」と村名がみえる。宝永三年(一七〇六)の「大成郡録」には「奈良 中之河村」とあり、もとは奈良村に付属していたと考えられる。天和元年(一六八一)の「宇和旧記」は次郎丸じろうまる(現松野町豊岡)の項の次に「同中の川村」と立項している。その理由は明らかではないが、地形からみても次郎丸村に属していたとは考えられず、「宇和旧記」の錯誤であろう。宇和島藩領。

太閤検地石高は二三八石三斗七升で、耕地面積の比率は田九二パーセント、畑八パーセント。

中之川村
なかのかわむら

[現在地名]一本松町なかかわ

一本松盆地の南西に位置し、ゆるやかな起伏をもつ谷あいの村。南西は満倉みちくら村に、北は広見ひろみ村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「中ノ川村 茅山有」と村名がみえる。「墅截」「大成郡録」では「中之川」と記される。宇和島藩領。

太閤検地の石高は二三一石七斗一升で、田畑の比率は田八五パーセント、畑一五パーセントであったが、寛文検地では石高が二九パーセント増加し、田畑も増加したもののその比率に変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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