下谷通新町(読み)したやとおりしんまち

日本歴史地名大系 「下谷通新町」の解説

下谷通新町
したやとおりしんまち

[現在地名]荒川区南千住みなみせんじゆ一丁目・同五―六丁目

南西から北東に通る日光道中千住宿へ至る道(金杉通・下谷通)沿いに発達した細長い町。南は下谷三之輪したやみのわ(現台東区)へ続く。起立の正確な年代は不明だが、寛文元年(一六六一)の割付に小塚原新こつかつぱらしん町、元禄九年(一六九六)の割付に下谷通新町とあることから、北隣の小塚原町から分れた新町と推測される(文政町方書上)。天保郷帳に下谷通新町とみえる。文政町方書上によれば町奉行・代官両方の支配であった。町の規模は南北六町余・東西四五間ほどの両側町。ただし両側の裏行は不同で、一部は片側町となっていた。反別六町一反余。文政九年(一八二六)の家数四四〇、内訳は地主八六(うち居付地主七五)・家主一二・地借六・店借二九五で総数は合わない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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