日本歴史地名大系 「下げ綱松」の解説
下げ綱松
さげつなまつ
多摩川右岸の丘陵上、旧
「風土記稿」によれば多摩川が氾濫して行手を遮ったとき稲毛重成がこの松に綱を渡して源頼朝の軍勢を渡したとも、豊臣秀吉の小田原出陣の際上杉氏の兵がこの松に綱をかけて丘陵を下りたとも伝える。近世後期に枯死した後、霊験あるとの噂が巷間に広まり、天保年間(一八三〇―四四)には江戸から参詣者が群集した。彦根藩の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
多摩川右岸の丘陵上、旧
「風土記稿」によれば多摩川が氾濫して行手を遮ったとき稲毛重成がこの松に綱を渡して源頼朝の軍勢を渡したとも、豊臣秀吉の小田原出陣の際上杉氏の兵がこの松に綱をかけて丘陵を下りたとも伝える。近世後期に枯死した後、霊験あるとの噂が巷間に広まり、天保年間(一八三〇―四四)には江戸から参詣者が群集した。彦根藩の
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