日本歴史地名大系 「上柘植宿」の解説
上柘植宿
かみつげじゆく
[現在地名]伊賀町柘植町
江戸時代上柘植村に設けられた大和街道の一宿。五街道其外分間見取延絵図(東京国立博物館蔵)によると西の
天平宝字二年(七五八)の伊賀国司解(東南院文書)記載田券の四至に「南界駅道」「右、在阿拝郡柘殖郷」とあり、古代の駅路もこの辺りを通っていた。「続日本紀」によると和銅四年(七一一)に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代上柘植村に設けられた大和街道の一宿。五街道其外分間見取延絵図(東京国立博物館蔵)によると西の
天平宝字二年(七五八)の伊賀国司解(東南院文書)記載田券の四至に「南界駅道」「右、在阿拝郡柘殖郷」とあり、古代の駅路もこの辺りを通っていた。「続日本紀」によると和銅四年(七一一)に
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