上柘植宿(読み)かみつげじゆく

日本歴史地名大系 「上柘植宿」の解説

上柘植宿
かみつげじゆく

[現在地名]伊賀町柘植町

江戸時代上柘植村に設けられた大和街道の一宿。五街道其外分間見取延絵図(東京国立博物館蔵)によると西の佐那具さなぐ宿(現上野市)へ二里八町とあり、街道の両側に並松が続いている。「三国地志」に「関ノ地域ヨリ柘植ノ地域マデ並松ヲ植ルコト寛文十一年ナリト云」とある。

天平宝字二年(七五八)の伊賀国司解(東南院文書)記載田券の四至に「南界駅道」「右、在阿拝郡柘殖郷」とあり、古代の駅路もこの辺りを通っていた。「続日本紀」によると和銅四年(七一一)新家にいのみ(現上野市)が設置された。そこから約一五キロほど東にあるこの辺りも東国への交通路として重要性を増したと思われる。仁和二年(八八六)現鈴鹿峠越の道にあたる阿須波あすは道が開通する(「三代実録」同年五月一五日条)までは交通の要衝であっただろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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