上和納村(読み)かみわのうむら

日本歴史地名大系 「上和納村」の解説

上和納村
かみわのうむら

[現在地名]岩室村和納わのう

西を西にし川が北へ流れ、北は下和納村(現巻町)、東は高橋たかはし村、南ははら村。「古事記」垂仁天皇条には、ものをいわなかった皇子が鵠をみて口をきいたことからこの鵠を諸国に追求め、「遂に高志国に追ひ到りて、和那美の水門に網を張りて、其の鳥を取りて持ち上りて献りき」とある。この「和那美の水門」を当地に比定する説があるが未詳。元暦元年(一一八四)一一月二三日の後白河院庁下文写(国上寺文書)には、国上こくじよう(現分水町)の不断護摩の勅願領として「和納之条」がみえる。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)に「本田善左衛門尉分 和納村」とあり、本分・見出分の田畠屋敷合せて三九貫九七〇文が給されている。伝上杉謙信自筆天正五年の名字尽(上杉家文書)に「和納伊豆守」の名がみえる。御館の乱の際には上杉景虎方の城が築かれ、上杉景勝方の攻撃で破却された(同八年六月九日「上杉景勝書状」山岸文書)。同一一年景勝は天神山てんじんさん城に清水内蔵助を置き、和納料所分を宛行った(同年一〇月九日「上杉景勝書状」歴代古案)

元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に上和納村とみえ、高一千二四九石四斗余。寛永一一年(一六三四)旗本牧野氏領となり、文久三年(一八六三)の高直し以降三根山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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