三珠町(読み)みたまちよう

日本歴史地名大系 「三珠町」の解説

三珠町
みたまちよう

面積:二九・四七平方キロ

郡の北東部、甲府盆地の南端部と御坂みさか山地の西部および曾根そね丘陵の西部に位置し、北はほぼ笛吹川を境に中巨摩郡田富たとみ町、東から南は東八代郡豊富とよとみ村・中道なかみち町と上九一色かみくいしき村、南から西は下部しもべ町・市川大門いちかわだいもん町に接する。中央部を西流するあし川の深い渓谷中に畑熊はたくま中山なかやま高萩たかはぎ三帳さんちよう下芦川しもあしがわの集落が散在し、曾根丘陵上には大塚おおつか上野うえのの一部、芦川扇状地に上野の集落がある。町名は前記三ヵ地区の三と表門うわと神社(通称市川文殊)の殊(珠に改字)をとったという。遺跡は曾根丘陵の西端にあたる大塚から上野にかけての丘陵上に集中している。大塚の水呑場みずのみば遺跡は縄文時代草創期の、水呑場北遺跡は縄文早期から中期、および古墳時代の遺跡。上野の上野遺跡と一条氏館跡いちじようしやかたあと遺跡は縄文時代から中世に及ぶ複合遺跡である。大塚の丘陵上に立地する二ッ池ふたついけ遺跡は弥生時代の比較的早い段階の遺跡。大塚の一条林いちじようばやし遺跡は弥生時代の集落遺跡。大塚の丘陵上にある帆立貝式墳の大塚古墳では埴輪や鈴付銅製品・甲胄など豊富な出土品がある。大塚の狐塚きつねづか古墳からは赤烏元年銘をもつ神獣鏡が出土している。古墳時代後期の横穴式石室墳は前掲一条氏館跡遺跡で確認されている。奈良・平安時代の遺物も大塚から上野の丘陵上に分布している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報