三崎嘯輔(読み)みさき・しょうすけ

朝日日本歴史人物事典 「三崎嘯輔」の解説

三崎嘯輔

没年:明治6.5.15(1873)
生年弘化4.5.11(1847.6.23)
幕末洋学者,化学者。福井藩出身。文久3(1863)年江戸で大鳥圭介蘭学を学ぶ。慶応1(1865)年長崎にてハラタマに出会い,化学を学び,明治2(1869)年には大阪において舎密局開設とともに,ハラタマを教頭とし,三崎は助教授となる。同年ハラタマ講述,三崎訳『舎密局開講之説』が発表されたが,化学の歴史を説いたものであった。4年には上京して大学東校(東大)の助教授となり,5年天皇東校行幸の折には,ひたたれに,たすきがけの姿で,化学実験講義とを行ったと伝えられる。

(村上陽一郎)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三崎嘯輔」の解説

三崎嘯輔 みさき-しょうすけ

1847-1873 幕末-明治時代の化学者。
弘化(こうか)4年5月11日生まれ。越前(えちぜん)福井藩医の子。大鳥圭介に蘭学を,長崎でオランダ人ハラタマに理化学をまなんだ。明治2年大阪の舎密局(セイミきょく)開講により助教となり,教頭ハラタマの講義録「舎密局開講之説」や,ドイツの実験専門書を翻訳。のち大学東校でおしえた。明治6年5月15日死去。27歳。

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