20世紀日本人名事典 「三宅 克己」の解説
三宅 克己
ミヤケ カツミ
明治〜昭和期の洋画家
- 生年
- 明治7年1月8日(1874年)
- 没年
- 昭和29(1954)年6月30日
- 出身地
- 徳島県撫養町
- 別名
- 別名=みやけ こっき(ミヤケ コッキ)
- 主な受賞名〔年〕
- 日本芸術院賞恩賜賞〔昭和26年〕
- 経歴
- 明治13年一家で上京し、日本橋浜町に住む。23年曽山幸彦の画塾に入り、25年曽山没後、原田直次郎の画塾・鍾美館に移る。30年渡米しエール大学附属美術学校に学ぶ。31年ロンドンに渡り、さらにパリに移り、32年帰国、白馬会会員となる。早くから水彩画を専門とし、明治30年代の水彩画隆盛時代をつくった。また「水彩画手引」「水彩画指南」を刊行するなど水彩画の普及に努めた。35年第7回白馬会展に代表作「雨後のノートルダム」を発表。文展には第1回から出品し、大正14年以後、帝展審査員も務めた。この間、大正元年には中沢弘光らと光風会を創立している。他の作品に「ニューヘヴンの雪」「冬の小川」など。「思い出つるまゝ」「欧州絵行脚」などの著書もある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報