三ッ島村(読み)みつしまむら

日本歴史地名大系 「三ッ島村」の解説

三ッ島村
みつしまむら

[現在地名]門真市三ッ島

南流するふる川左岸沿いの平坦地の村。北は上八箇庄かみはつかしよ水路を隔てて北島きたじま村、古川対岸桑才くわざい村とひえじま村。集落は二つに分れ、古川堤防沿いに島村集落に対して下三ッ島しもみつしまがあり、その北東に上三ッ島がある。三ッ島は「河内国小松寺縁起」に載せる保延五年(一一三九)の勧進奉加帳に「百文三島郷住人」とみえる(ただしこの文書は検討を要する)。天正一二年(一五八四)一一月の河内国御給人御蔵入之内より出米目録(中之島図書館蔵)の「八ケ所之出米分」のうちに「三百十一石七斗七升 三ツしま」とみえ、注記に「右之外四百十五石七升一合也 出米」とある。慶長一〇年(一六〇五)当村の樋口兼保が祖先からの聞伝えを記したという往古写書(樋口家文書)は、次のように記す。

三ッ島村
みつじまむら

[現在地名]川島町三ッ島

児島こじま村の西に位置し、村域は東流する吉野川の右岸(南岸)沖積地、および同川の川中島である善入寺ぜんにゆうじ島の南西部に広がる。吉野川の南岸に沿って伊予街道が横断し、西は山崎やまさき(現山川町)、東流する学島がくしま川を挟んで南はがく村。三島村とも記した。

慶長二年(一五九七)の分限帳では林与右衛門(能勝)知行分のうちに三島高一七四石余がみえる。正保国絵図では三嶋村とあり、高七四石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では水損と注記があり、高七四石余はすべて畠方。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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