一条天皇・三条天皇火葬塚(読み)いちじようてんのう・さんじようてんのうかそうづか

日本歴史地名大系 の解説

一条天皇・三条天皇火葬塚
いちじようてんのう・さんじようてんのうかそうづか

[現在地名]北区衣笠鏡石町

鏡石かがみいし紙屋かみや(天神川)の間にある円墳

一条天皇は円融天皇の第一皇子(母藤原詮子)で寛弘八年(一〇一一)六月、三二歳で一条院(跡地現上京区)に没した。天皇は父円融院の傍らに土葬されることを遺言していたが、遺骸は一条院の中殿北西の渡殿に安置され、七月八日夜、長坂野ながさかの荼毘に付された。「小右記」には「御葬送所、巌陰、長坂野東云々」、「日本紀略」に「奉先皇於北山長坂野」、「帝王編年記」に「葬北野永坂内本善寺前」、「一代要記」には「葬石陰山」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報