・山(読み)さつた・さつたやま

日本歴史地名大系 「・山」の解説


さつた・さつたやま

清水市興津東おきつあずま町・同井上いのうえ町と由比ゆい町との境にある山。山地が急斜面で海に面しているため、東海道難所の一つとして知られ、軍事・戦略的な要衝でもあった。正平七年(一三五二)正月八日の金子信泰軍忠状(早稲田大学荻野研究室所蔵文書)に「於薩()坂致昼夜警固」とあり、前年一二月の薩山合戦の軍忠を記している。この合戦は観応の擾乱における将軍足利尊氏方と弟直義方との合戦で、観応二年(一三五一)一一月晦日に尊氏が薩山に陣を取り(「太平記」巻三〇薩多山合戦事)、一二月一一日、蒲原かんばら(現蒲原町)、富士河原一帯にかけての広範囲で戦い(正平七年正月八日「金子信泰軍忠状」早稲田大学荻野研究室所蔵文書)、さらに同月一三日桜野さくらの(現由比町)へと陣を移動して(正平七年正月日「伊達景宗軍忠状」駿河伊達文書)、一二月二七日・二八日にも石塔義房・上杉憲将らと戦うなど(同軍忠状、正平七年正月日「別符幸実軍忠状」別符文書)、同月末にかけて一ヵ月を要して直義方を敗退させ、乱の勝敗を決定づけた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報