レオン(スペイン)(読み)れおん(英語表記)León

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レオン(スペイン)」の意味・わかりやすい解説

レオン(スペイン)
れおん
León

スペイン北西部、レオン地方レオン県の県都。人口13万0916(2001)。カンタブリア山脈南麓(なんろく)の標高838メートル、南流するベルネスガ川左岸に位置する。レオン地方は、本来はレオン王国の占めていた地域をさす歴史的地方名で、東に隣接するパレンシアバリャドリード両県の大部分も含み、レオンはその首都(10~13世紀)であった。792年以来、司教座所在都市ともなっている。19世紀には鉄道が敷設され、石炭を主とする鉱業で栄えた。また周辺の農産物集散地であり、地域の商業中心として発展してきた。旧市街は市内東部の城壁(10世紀)に囲まれた一帯で、スペイン最古のロマネスク彫刻を施した柱やみごとなフレスコ画を内部にもつロマネスク様式のサン・イシドロ教会(8~11世紀)、フランス出身のエンリケの建築になるフランス風ゴシック様式の大聖堂(正称サンタ・マリア・デ・レグラ大聖堂、13~14世紀)、かつてサンティアゴ巡礼者の宿として開放され現在レオンで最高級のホテルとなっている旧サン・マルコス僧院(16世紀再建)、市庁舎など、歴史的建築物に重要なものが多い。また新市街にはガウディ作の建物カサ・デ・ロス・ボティーネス(現在は銀行となっている)もあり、スペインでも有数の観光地となっている。新市街は旧市街の西側、川を渡って駅までの範囲で、その西に畑地が広がる。北方には繊維、製糖、化学などの工場および労働者の住宅が広がっている。

田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

レオン地方はすでに旧石器時代後期の遺跡を残しているが、ローマ支配のころは農産物や鉱山資源の集積地となっていた。スエビ人、バンダル人などのゲルマン系民族が侵入し、西ゴート王レオビヒルドのとき、その都トレドの支配下に入った。715年ごろイスラムが侵入し、大量のモサラベmozarabe(イスラム支配下に混住したキリスト教徒)が移民する。ドゥエロ川北岸の地ではレコンキスタ(国土回復戦争)の理念が生まれ、キリスト教徒による再植民が繰り返された。11世紀から12世紀に盛んになったサンティアゴ巡礼路上の都市として栄え、13世紀にアルフォンソ9世がサラマンカ大学創立、輝かしい学問文化の地となった。10世紀以降カスティーリャとの分離と併合を繰り返すが、15世紀にはカスティーリャとポルトガルの王位継承をめぐる紛争地帯となった。スペイン王カルロス1世に対するカスティーリャ都市連合の反乱コムニダーデスの乱(1520)の影響も受けている。地形的に中央部と離れていることから、自らの法や特権を保ち続けた。1822年にレオン、サモラ、サラマンカ、バリャドリード、パレンシアの5県をもってレオン地方を構成した。その後、前3県がレオン地方となっていたが、1983年からは前記の5県にアビラ、ブルゴス、セゴビア、ソリアを加えた9県でカスティーリャ・イ・レオン自治州を構成している。

[丹羽光男]

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百科事典マイペディア 「レオン(スペイン)」の意味・わかりやすい解説

レオン(スペイン)【レオン】

スペイン北部,カスティリャ・イ・レオン自治州の同名県の県都。カンタブリア山脈の南麓,標高820mにあり,交通・商業の要地。中世にはレオン王国の首都として繁栄。11世紀のサン・イシドロ教会,13世紀ゴシックの大聖堂がある。皮革,麻織物,ブランデーの製造が行われる。13万1411人(2011)。
→関連項目サンチアゴ・デ・コンポステラの巡礼路

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