ミュラー(ドイツの陸軍軍医 Benjamin Carl Leopold Müller)(読み)みゅらー(英語表記)Benjamin Carl Leopold Müller

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ミュラー(ドイツの陸軍軍医 Benjamin Carl Leopold Müller)
みゅらー
Benjamin Carl Leopold Müller
(1824―1893)

ドイツの陸軍軍医。ミュルレルともいう。ボン大学ベルリン大学外科を学び、軍医学校教官、シャリテ病院高級医官を経てハイチ国陸軍病院総監督などを歴任した。1869年(明治2)日本政府は中央の官立学校へドイツ人教師2名を招くこととし、その結果1871年プロシア陸軍軍医正のミュラーと海軍軍医のホフマンTheodor Eduard Hoffmann(1837―1894)が来日した。二人のプロシア軍医は、医学校改革の全権を与えられて、プロシア陸軍軍医学校を模した厳格な教育体制を確立し、日本医学教育制度の今日にまで引き継がれる原型となった。1875年帰国。

[神谷昭典 2018年8月21日]

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