ペリステュルム(英語表記)peristylum

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペリステュルム」の意味・わかりやすい解説

ペリステュルム
peristylum

建築用語。ペリスタイルともいう。中庭を囲む列柱廊,または列柱廊で囲まれた中庭をさす。ポンペイやヘラクネリウムなどの古代ローマの住宅にその例がみられる。

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世界大百科事典(旧版)内のペリステュルムの言及

【アトリウム】より

…古代ローマ住宅の玄関ホールの役割を果たした中庭,あるいは初期キリスト教のバシリカ式教会堂の回廊で囲われた前庭,後には,広く玄関一般を指すようになる。ポンペイなどで発掘された古代都市住宅は敷地全体に高い壁をめぐらし,各室はすべてアトリウムと広い裏庭(ペリステュルム)の二つの中庭を囲んで配置される〈コートハウス(中庭式住宅)〉の形式をとっており,アトリウムは家の中心となるべき空間であった。ウィトルウィウスによれば,この空間は規模,屋根の有無などによって五つに分類されるというが,そのほとんどはポンペイなどで実在が確かめられる。…

【住居】より

…また寝室(クビクルムcubiculum)その他がアトリウムを囲んでいる。アトリウムの奥にはペリステュルムperistylum(列柱中庭)が設けられる。私的な中庭というべき性格のもので,主室,食堂,寝室,台所などがまわりを取り巻く。…

【ポンペイ】より

…イタリアの古代都市。カンパニア州北西部,ナポリの南東約23kmのナポリ湾沿岸,ベスビオ山の南麓に位置する。交通の要衝,肥沃な後背地などの条件によりオスキ人がまず集落をつくった。やがて前8世紀以降ギリシア人植民者,エトルリア人が移り住み,町は拡大した。交易が栄え,農産物,ブドウ酒,魚介類,軽石を産し,輸出した。ギリシア神殿もできたがオスキ・イタリア文化も発展した。前5世紀にはサムニウム人の進出で略奪をうけ,ついにはその支配下に入り,ヌケリアNuceriaを盟主とする都市同盟の一員となり,貴族共和政の体制を保った。…

【廊下】より

…古代ローマ人はギリシアの建築技法を忠実に引き継いだが,さらに住宅建築にも歩廊を積極的に取り入れたことが注目される。ポンペイ式住宅のペリステュルムperistylum,オスティア式集合住宅(インスラ)の中廊下などは,各室の独立に役立ち,宮殿建築にも巧みに利用されている。 中世および近世初期の住宅では,廊下が目立たず,室と室が直接接続されている例が圧倒的に多い。…

【ローマ】より

…イタリア半島の中央部,現在のイタリア,テベレ河畔に都市国家として興り,のち世界史上未曾有の大帝国を築いた古代国家。
[世界史的位置]
 歴史上に現れた多くの国家や帝国のなかで,ローマは特別の世界史的位置を占めている。それは,ローマについていわれてきた二つの諺,〈ローマは一日にして成らず〉と〈すべての道はローマに通ず〉が象徴的に表しているように,世界史上まれにみる長年月の間に大帝国を建設し,かつそれをこれまた比類のない長い年月の間維持発展させることができたという事実,またローマを中心に帝国各地に放射し辺境から人間や物資をローマに運んだローマの公道のように,これ以前の先進文明を吸収し,それを次代の諸世界へとそれぞれ伝えていったというもう一つの事実が,ローマの世界史的位置を端的に物語っている。…

【ローマ美術】より

…ポンペイの住宅では,アトリウムの屋根は四方からふきおろされ,中央に雨水を落とす天窓があり,その下に雨水を受ける水盤(インプルウィウムimpluvium)がある。大邸宅ではアトリウムを中心とする一郭の後ろに列柱中庭(ペリステュルムperistylum)を取り巻く一郭が造られる。このペリステュルムはヘレニズム世界から導入されたのであろう。…

※「ペリステュルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」