フリードリヒウィルヘルム2世(英語表記)Friedrich Wilhelm Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム[2世]
Friedrich Wilhelm Ⅱ
生没年:1744-97

プロイセン王。在位1786-97年。フリードリヒ2世大王)の甥。フランス革命に干渉し,第2次・3次のポーランド分割を行う。明るい開放的性格の人であったが,反面女色におぼれ,政治的識見と首尾一貫性に欠け,寵臣に動かされた反啓蒙主義的宗教政策で不評を買った。ただし学芸には理解があり,彼の時代にベルリンドイツの中心的文化都市に発展している。
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世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒウィルヘルム2世の言及

【プロイセン】より

… これ以後,プロイセン公国は,ホーエンツォレルン家のもとに,同君連合のかたちで,歴代のブランデンブルク選帝侯の支配をうけるが,プロイセンに対するポーランドの宗主権はなおも存続した。ようやく〈大選帝侯〉フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来ユンカー(地方貴族)の農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)が発展していた。…

※「フリードリヒウィルヘルム2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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