ヒバハーン国(読み)ヒバハーンこく

改訂新版 世界大百科事典 「ヒバハーン国」の意味・わかりやすい解説

ヒバ・ハーン国 (ヒバハーンこく)

中央アジアのアム・ダリヤ下流のヒバKhivaを首都(はじめはウルゲンチ)に,ホラズム地方とその周辺部を版図としたウズベク族の国家。1512-1920年。ハーン権力が弱くて内紛が絶えず,実権はクングラット族が握っていった。また,ブハラ・ハーン国,イラン,トルクメン等遊牧民の侵入に苦しみ,産業・文化も低調だった。こうしたなかで,アブー・アルガージー・バハードゥル・ハーンAbū al-Ghāzī Bahādur Khān(在位1643-63)は,《トルコ族の系譜》などの史書を著した歴史家としても名高い。18世紀初頭からロシアの圧迫を受け,1873年にその保護国となったが,ロシア革命後滅びた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヒバハーン国の言及

【ウズベキスタン】より

…20年以降は,ヒバ,ブハラ両ハーン国の地域を拠点とする農民のバスマチ運動との戦いがつづいた。ヒバ・ハーン国では18年トルクメンのジュナイド・ハーンが独裁をしき,ウズベク農民を抑圧していたが,革命によって20年4月ホラズム人民ソビエト共和国が成立,23年10月に社会主義共和国となった。ブハラ・ハーン国でも20年夏の革命によって青年ブハラ党が政権をとり,10月にブハラ人民ソビエト共和国,24年9月ブハラ・ソビエト社会主義共和国となった。…

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