ナショナルポリシー(英語表記)National Policy

改訂新版 世界大百科事典 「ナショナルポリシー」の意味・わかりやすい解説

ナショナル・ポリシー
National Policy

1879年,カナダが採用した保護関税政策の別称。1867年のカナダ建国以来,いかなる経済政策を採用するかについて保守党自由党が争ってきたが,〈ナショナル・ポリシー〉を掲げた保守党が78年,自由貿易主義を掲げる自由党を破って勝利を収め,決着をみた。採用の目的は財政上の欠損を埋めると同時に工業振興も目ざすことにあったが,製造工業品のみならず,農産物など一次産品の関税率も上げ,カナダ国民全般の要望にこたえようとした点に特徴がある。96年に自由党が政権をとった後も〈ナショナル・ポリシー〉は修正を重ねながらも持続され,カナダの伝統的経済政策となった。しかしその工業保護ゆえに,アメリカ合衆国の製造工業者がカナダ国内に支工場を設けて関税障壁を乗り越えようとして,かえってカナダ工業の脆弱(ぜいじやく)化を招いたとされ,最近のカナダ経済学者,経済史家には,保守党首相J.A.マクドナルドの〈先見の明のなさ〉を批判する声が高い。
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世界大百科事典(旧版)内のナショナルポリシーの言及

【ティリー】より

…旧約聖書から〈ドミニオン〉の語を見いだしてカナダの国名(Dominion of Canada)につけ加えたのはティリーとされる。第2次マクドナルド内閣で蔵相を務め,〈ナショナル・ポリシー〉の遂行者となった。85年健康を害して公務より引退。…

【マクドナルド】より

…カナダは建国のモットーどおり〈海から海へ〉またがる国家の版図を実現した。その内容を充実させるため,79年,〈ナショナル・ポリシー〉として保護関税を採用,自由党の批判を浴びたが自由党ものちには自党の政策として採用した。85年には紆余曲折を経て大陸横断鉄道を完成に導き,マクドナルド夫妻は開通したばかりの鉄道の旅客としてカナダの西端へ赴いた。…

※「ナショナルポリシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」