シナイ(英語表記)Sinai

翻訳|Sinai

改訂新版 世界大百科事典 「シナイ」の意味・わかりやすい解説

シナイ
Sinai

アジア大陸とアフリカ大陸の境界にある三角形の半島。北は地中海に面し,東はアカバ湾,西はスエズ運河およびスエズ湾に囲まれている。アラビア語ではシーナーSīnā'。半島の大部分は砂漠地帯で,南部はカティリーナKatirīna山(2637m)を中心とする花コウ岩の山地である。人口は地中海沿岸地方やスエズ運河東岸に集中しており,内陸部や南部の砂漠地帯には,サワリハ族やテラビン族といった遊牧民族が住んでいる。南部のモーセ山にはかつて,ここにある修道院警護にあたっていたボスニアワラキアの農奴の子孫であるジェベリエ族がいる。

 シナイの語源は,前3000年ころのメソポタミアアッカド語で〈月の神〉を意味するシンSinという言葉である。旧約聖書でモーセが十誡を授かったシナイ山は現在のモーセ山(ムーサー山)とされ,その山麓にはカタリナ修道院が建てられている。半島各地から新石器時代の石器をはじめとする遺物が発見されている。古代エジプト時代ここは銅やトルコ石の採掘地として有名で,古王国時代の碑文が出土している。セラビート・エルハーデムで発見されたハトホル女神にささげられた神殿には,中王国・新王国時代の記録が残っており,その最後の王は第20王朝のラメセス5世である。古代エジプト王国はシナイ半島領有していたが,その後ローマ帝国の属領となった。初期キリスト教時代に多くの隠修士が住むようになり,ユスティニアヌス1世はその保護を目的として6世紀中ごろにカタリナ修道院の前身である砦と教会堂をつくった。その後この地はキリスト教徒信仰の中心地となり,中世には多くの巡礼者でにぎわった。

 16世紀初めになると半島はオスマン帝国に併合されたが,19世紀になってエジプトのムハンマド・アリーがオスマン帝国から独立し,その子イブラーヒームのときにエジプト領となった。その後一時イギリス軍に占領されたが,第1次世界大戦後はエジプトに返還された。しかし1948年イスラエル建国後はその領有をめぐってエジプトとの争いが絶えず,67年第3次中東戦争が勃発するとイスラエル占領下となった。その後73年第4次中東戦争後,サーダート大統領が締結した対イスラエル和平協定により半島の一部がエジプト領に戻った。そして79年のエジプト・イスラエル平和条約にもとづき,82年4月25日にシナイ半島はエジプトに返還された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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