グェルフ党(読み)ぐぇるふとう(英語表記)parte guelfa イタリア語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グェルフ党」の意味・わかりやすい解説

グェルフ党
ぐぇるふとう
parte guelfa イタリア語

教皇党と訳す。中世イタリアをギベリン党皇帝党)と二分した政治党派。名称は、ドイツのウェルフWelf家を示す戦場での合いことばに由来する。1198~1218年、ウェルフ家とホーエンシュタウフェン家との神聖ローマ帝国支配をめぐる争いがイタリアに波及し、この名称が流布した。最初フィレンツェに、ついで皇帝フリードリヒ2世と教皇とが激しく対立した13世紀中ごろ各地に広がった。その結果都市内に両派の名称をつけた道路、館(やかた)、高塔が並存した。親教皇派貴族が一般市民をも巻き込んで党派に組織し、さらに都市の同盟にも及ぶ。各地で、覇権を掌握した側が、敵党派を都市から追放するシーソーゲームが繰り返された。1260年シエナを中心とするギベリン派都市に敗れたフィレンツェでは、67年グェルフ党が復帰し、フランス勢力と結んで自派体制を確立、さらに教皇財政を担当して大躍進を遂げた。この躍進を担った大商人層が市政権を掌握し、自派を自由の擁護者と唱導した。

[佐藤眞典]

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