エッサデケイロス(英語表記)José Maria Eça de Queirós

改訂新版 世界大百科事典 「エッサデケイロス」の意味・わかりやすい解説

エッサ・デ・ケイロス
José Maria Eça de Queirós
生没年:1845-1900

ポルトガルの作家。コインブラ大学法学部在学中から知識人と交わり,旧来の思想への批判的精神を養った。卒業後しばらく弁護士活動を行ったが,1873年にキューバ領事に任命され,次いでイギリスに14年在勤ののちパリに赴任し,そこで没した。外交官としての長い外国生活は,故国を冷静に見つめる目を与えるとともに,当時のヨーロッパの思想に直接接する機会を授けた。青年期の作品にはドイツの抒情詩あるいはボードレールを介してのポーの影響などが,不消化のかたちではあるが認められる。しかし青年期の乱読を通しての諸外国の作家との出会いは,後のエッサの独創性をつくりあげるうえで,きわめて重要な意味を持つものであった。彼の最初の重要な作品《アマロ神父の犯罪》(1875)はポルトガル文学史上最初のリアリズム文学として名高い。《従兄弟バジリオ》(1878)もポルトガル・リアリズム文学の傑作の一つで,この2作は人びとが気づかないでいた現実を残酷なほど鋭いかたちで読者につきつけたものであった。このため一部の作家からは激しく非難され,論争の的にもなった,近親相姦を扱った《マイア家の人びと》(1880)も忘れがたい。辛辣な風刺をこめて書きあげた彼の作品の文体の明晰さ,上品さ,そして音楽性,こうした点でも彼はポルトガルにおける第一級の文章家であった。ほかに,《聖遺物》(1887),《名高きラミレス家の人びと》(1897),《都と村》(1901)などの作品があり,短編にも秀作がある。
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