アステュアゲス(英語表記)Astyagēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アステュアゲス」の意味・わかりやすい解説

アステュアゲス
Astyagēs

古代メディア最後の王 (在位前 585頃~550頃) 。アスティアゲスとも表記される。アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世と戦って捕えられ (前 550) ,メディア王国は滅亡した。古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによればキュロス2世はアステュアゲスの娘の子とされるが,はっきりしない。バビロニア碑文にはこの戦いは前 553年に起り,軍が寝返ったため捕われたとある。

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世界大百科事典(旧版)内のアステュアゲスの言及

【キュロス[2世]】より

…カンビュセス1世の子。まず前550年にメディアのアステュアゲスを破ってイラン高原の覇権を確立。次いで前547年にリュディアのクロイソスに対して遠征をおこない,サルディスを占領したのち,イオニアのギリシア諸都市を征服した。…

【メディア王国】より

…その後,ウラルトゥとマンナイを征服し,アナトリアに進出してリュディア王国と戦ったが,タレスの予言で有名な前585年5月28日の皆既日食によって休戦し,ハリュス川を国境とする条約を取り交した。次のアステュアゲスAstyagēs(在位,前585‐前550)は種族連合的性格を有していた国家の中央集権化に努めたが成功せず,ペルシアのキュロス2世に滅ぼされた。しかし,メディアの制度や文化はペルシアに受け継がれ,メディア人はペルシア帝国において重用された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」