ナチ党(ナチス)の親衛隊Schutzstaffelの略称。1925年にヒトラー個人を保護する組織として設立され、突撃隊SA(エスアー)に属したが、29年以後ヒムラーのもとでナチ党内の警察機能をもつに至り、34年6月のレーム事件ではヒトラーに協力し、突撃隊にかわる党の軍事組織となり、国防軍を脅かす存在となった。36年、ヒムラーが全ドイツの警察を手中にすると、親衛隊と警察は人的、組織的に融合した。親衛隊の組織は複雑で、重要機関にナチス人種理論を実現するための「人種局」、ゲシュタポ(秘密国家警察)を含む公安情報機関「保安隊SD(エスデー)」などがあるが、中核をなすのは「武装親衛隊」で、強制収容所を管理した「髑髏(どくろ)隊」もこれに属する。39年以後親衛隊の組織は拡大し、独自の企業すら経営した。またナチス・エリートとしての親衛隊の指導者養成機関としてユンカー学校が設けられていた。隊員数は29年300人、33年初め5万人、45年90万人といわれる。
[吉田輝夫]
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…1938年渡米。彼は乳幼児の微笑反応,8ヵ月不安に関する研究をはじめ,母親と離別した乳児の深刻な反応である依存抑鬱(よくうつ)anaclitic depressionや,施設収容児が精神・身体発達の著明な遅れを示すというホスピタリズム(施設症)などを明らかにしたほか,神経学,精神身体医学にまで及ぶ,実証的・実験行動学的理論を展開し,母子関係の成立ちを中心とした乳幼児の精神発達の研究に大きく貢献した。75歳でコロラド大学大学院の教授の職を辞したのち,63年,スイスのジュネーブに移ったが,その後もなお小児精神病の治療と研究に従事した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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