IRCAM(読み)あいあーるしーえーえむ

世界大百科事典(旧版)内のIRCAMの言及

【フランス音楽】より

…もっとも20世紀中ほどからのこうした試みは,フランスに限られたことでなく,国際的な規模にわたって進められ,他国に影響を与える一方で,ケージの偶然性(不確定性),ポーランドの前衛たちのトーン・クラスター(密集音響)などを取り込んでいった。その国際性は,たとえば1977年以来ブーレーズを中心に活動を始めたIRCAM(音響・音楽の探求と調整の研究所)の事業と人的構成にも反映されている。シェフェールらのミュジック・コンクレートにしても,アイメルトの電子音楽との交流によって電子音響(エレクトロ・アクースティック)音楽を推進することができた。…

【ブーレーズ】より

…以後作曲家としては,セリー・アンテグラル,さらに,偶然性を批判的に取り入れた〈管理された偶然性〉の,精緻をきわめた数理的な作曲技法によって,《ル・マルトー・サン・メートルLe marteau sans maître(主なき槌)》(1954)や《プリ・スロン・プリPli selon Pli――マラルメの肖像》(1960)などの傑作を書きあげ,指揮者としては,BBC交響楽団,ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団など世界の超一流のオーケストラの常任指揮者を務めた。1975年にIRCAM(音楽・音響の探求と調整の研究所)を創設し,所長に就任して,現代音楽の新しい可能性を追求している。音楽理論家としても活動し,コレージュ・ド・フランスで講義をし,《徒弟の覚書》(1966),《参照点》(1981)などの著書を執筆した。…

【コンピューターミュージック】より

…これは電子オルガンやコンピューターのキーボード,ジョイスティックなどのインターフェースの操作によりリアルタイムで音響に変化を与えることができるシステムであった。これは一方ではシンセサイザー,サンプラーの開発やMIDIとパーソナルコンピューターの誕生と共に,(3)の形のコンピューターミュージックを可能にし,他方ブーレーズを初代所長として1970年代初頭にパリに開設された研究所IRCAMでは,パワフルなコンピューター4Xを用いて,DSPのさまざまなテクニックが探求されるようになる。ブーレーズはリアルタイムで器楽演奏の音を増幅したり,空間的に配分したりするこのテクニックを用いる《レポン》(1981)を作曲した。…

【フランス音楽】より

…もっとも20世紀中ほどからのこうした試みは,フランスに限られたことでなく,国際的な規模にわたって進められ,他国に影響を与える一方で,ケージの偶然性(不確定性),ポーランドの前衛たちのトーン・クラスター(密集音響)などを取り込んでいった。その国際性は,たとえば1977年以来ブーレーズを中心に活動を始めたIRCAM(音響・音楽の探求と調整の研究所)の事業と人的構成にも反映されている。シェフェールらのミュジック・コンクレートにしても,アイメルトの電子音楽との交流によって電子音響(エレクトロ・アクースティック)音楽を推進することができた。…

【ブーレーズ】より

…以後作曲家としては,セリー・アンテグラル,さらに,偶然性を批判的に取り入れた〈管理された偶然性〉の,精緻をきわめた数理的な作曲技法によって,《ル・マルトー・サン・メートルLe marteau sans maître(主なき槌)》(1954)や《プリ・スロン・プリPli selon Pli――マラルメの肖像》(1960)などの傑作を書きあげ,指揮者としては,BBC交響楽団,ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団など世界の超一流のオーケストラの常任指揮者を務めた。1975年にIRCAM(音楽・音響の探求と調整の研究所)を創設し,所長に就任して,現代音楽の新しい可能性を追求している。音楽理論家としても活動し,コレージュ・ド・フランスで講義をし,《徒弟の覚書》(1966),《参照点》(1981)などの著書を執筆した。…

※「IRCAM」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」