百科事典マイペディア 「GHQ」の意味・わかりやすい解説
GHQ【ジーエッチキュー】
→関連項目教職追放|玄洋社|ゴードン|自衛隊|証券取引所三原則|白井義男|新聞紙法|SCAP|大本営|竹島|地婦連|吐【か】喇列島|内務省|日本|日本降伏文書|林房雄|東久邇稔彦内閣|婦人参政権|マッカーサー|横浜正金銀行|レッドパージ
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…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。熊沢は1945年末,GHQ翻訳部を訪問して系図等を提示しながら南北朝時代以来の歴史を語り,自分こそ天皇家の正統者であると主張し,現天皇を追放して自分を即位させるよう要請した。…
…当時活躍した時代劇スターとしては,前出のほか,光岡竜三郎,羅門光三郎,大河内竜,阿部九州男,沢村国太郎,海江田譲二,杉山昌三九,坂東好太郎,女優では伏見直江,原駒子,鈴木澄子などがいる。
【戦中から戦後へ】
[映画法とGHQ]
第2次世界大戦が始まって,映画法(1939公布)のもとに映画統制が激化する中,山本嘉次郎監督《エノケンのちゃっきり金太》,斎藤寅二郎監督《エノケンの法界坊》,稲垣浩監督,片岡千恵蔵主演《宮本武蔵》三部作,マキノ正博監督,長谷川一夫主演《昨日消えた男》などがつくられたが,時代劇ではなく,すでに熊谷久虎監督《阿部一族》(1938)で試みられたような歴史劇を,との気運が高まり,稲垣浩監督《江戸最後の日》(1941)や溝口健二監督《元禄忠臣蔵》(1941‐42)などが生まれて,時代劇は息をひそめていった。第2次大戦後,映画法は廃止されたが,GHQ(連合国総司令部)による規制と検閲が時代劇のうえにのしかかった。…
…また46年2月から,連合国の対日占領の最高機関として11ヵ国(1949年以降は13ヵ国)からなる極東委員会がワシントンに設けられ,さらに東京に最高司令官の諮問機関として米英中ソの4ヵ国からなる対日理事会が設けられたが,いずれもその権限は形式的で,実質的にはアメリカの単独占領であり,アメリカの対日占領政策が占領政策を左右した。日本占領にあたった連合国軍最高司令部GHQ=SCAP(General Headquarters,Supreme Commander for the Allied Powers)は,同時にアメリカ軍の極東軍総司令部であり,極東委員会の指令よりもアメリカ政府の指令にもとづいて占領政策を行ったからである。
[民主化政策]
占領下の日本は,占領政策の動向によって前後の2期に分けられる。…
…以後改造社への軍部の圧力が強まり,編集部員が入れかえられ社会批判の姿勢をくずすが,44年6月同社は解散,6月号かぎり《改造》も休刊した。戦後,46年1月からGHQの要請もあって再刊されるが内容も貧弱になり,55年1月編集局員全員解雇から争議が発生し,翌月廃刊した。【梅田 俊英】。…
…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。熊沢は1945年末,GHQ翻訳部を訪問して系図等を提示しながら南北朝時代以来の歴史を語り,自分こそ天皇家の正統者であると主張し,現天皇を追放して自分を即位させるよう要請した。…
…当時活躍した時代劇スターとしては,前出のほか,光岡竜三郎,羅門光三郎,大河内竜,阿部九州男,沢村国太郎,海江田譲二,杉山昌三九,坂東好太郎,女優では伏見直江,原駒子,鈴木澄子などがいる。
【戦中から戦後へ】
[映画法とGHQ]
第2次世界大戦が始まって,映画法(1939公布)のもとに映画統制が激化する中,山本嘉次郎監督《エノケンのちゃっきり金太》,斎藤寅二郎監督《エノケンの法界坊》,稲垣浩監督,片岡千恵蔵主演《宮本武蔵》三部作,マキノ正博監督,長谷川一夫主演《昨日消えた男》などがつくられたが,時代劇ではなく,すでに熊谷久虎監督《阿部一族》(1938)で試みられたような歴史劇を,との気運が高まり,稲垣浩監督《江戸最後の日》(1941)や溝口健二監督《元禄忠臣蔵》(1941‐42)などが生まれて,時代劇は息をひそめていった。第2次大戦後,映画法は廃止されたが,GHQ(連合国総司令部)による規制と検閲が時代劇のうえにのしかかった。…
…また46年2月から,連合国の対日占領の最高機関として11ヵ国(1949年以降は13ヵ国)からなる極東委員会がワシントンに設けられ,さらに東京に最高司令官の諮問機関として米英中ソの4ヵ国からなる対日理事会が設けられたが,いずれもその権限は形式的で,実質的にはアメリカの単独占領であり,アメリカの対日占領政策が占領政策を左右した。日本占領にあたった連合国軍最高司令部GHQ=SCAP(General Headquarters,Supreme Commander for the Allied Powers)は,同時にアメリカ軍の極東軍総司令部であり,極東委員会の指令よりもアメリカ政府の指令にもとづいて占領政策を行ったからである。
[民主化政策]
占領下の日本は,占領政策の動向によって前後の2期に分けられる。…
…公正取引委員会などと同じく内閣総理大臣の所轄のもとに独立して職権を行使するいわゆる行政委員会であった。放送を含む電波行政の公正と政治的な中立を確保するための制度的方策として連合国最高司令官総司令部GHQの示唆で設置されたものである。設置法案の作成過程で当時の吉田内閣は委員会の政府からの独立性が強過ぎるとして修正を主張したが,結局マッカーサーの個人的書簡による要請の形をとって総司令部の意向を受け入れることで決着がついた。…
… 1930年代には年間ほぼ500本つくられた劇映画は,40年の497本を最後に,41年232本,42年87本と激減し,45年にはわずか26本となった。
【占領時代の日本映画】
[リンゴの唄とGHQ]
15年戦争が日本の敗北で終わった1945年8月15日以後,最初に公開された日本映画は,8月30日封切の松竹作品《伊豆の娘たち》(五所平之助監督)と大映作品《花婿太閤記》(丸根賛太郎監督)であるが,2作品とも戦時中に企画されたもので,真の戦後映画第1号は10月11日封切の松竹作品《そよかぜ》(佐々木康監督)であった。主題歌《リンゴの唄》が一世をふうびした《そよかぜ》は,GHQ検閲第1号の映画でもある。…
…40年代に入ると,不敬罪は戦争への民衆の不満とそれに端を発する天皇へのうらみといった非戦・厭戦的言動の取締りに用いられ,戦時統制の一翼を担った。
[廃止の経緯]
敗戦とともに日本を占領したGHQは,45年10月4日付の指令〈政治的市民的宗教的自由の制限除去に関する覚書〉等により,治安維持法その他,自由を規制している広範な立法の廃止を命じたが,不敬罪はそれが基本法たる刑法中にあったためか廃止のリストからもれていた。取締りのための武器のほとんどを奪われていた政府当局は,これを利用して,当時の大衆運動の高揚,とくに天皇制批判の言論の盛上りを不敬罪によって取り締まろうと試みた。…
…1945年9月19日GHQ(占領軍総司令部)から発せられた覚書で,正式名称は〈日本に与うる新聞遵則〉。10項目から成り,内容は,一方でニュースは真実でなければならぬ,事実に即し意見は払拭しなければならぬ,宣伝の意図を含んではならぬ,歪曲してはならぬ,としながら,他方では公共の安寧を乱す事項の禁止,連合国に対する破壊的批判の禁止,発表されない連合国軍の動静の報道の禁止などの項目を含む。…
※「GHQ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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