BTグループ(読み)びーてぃーぐるーぷ(英語表記)BT Group plc

日本大百科全書(ニッポニカ) 「BTグループ」の意味・わかりやすい解説

BTグループ
びーてぃーぐるーぷ
BT Group plc

イギリスを代表する通信企業。旧社名はブリティッシュ・テレコムBritish Telecommunications Corp.(略称BT)。2002年に、現社名に変更した。本社ロンドン

[安部悦生]

前史

イギリスでは19世紀の後半まで通信業は民間企業によって担われていた。1869年に電報業務を郵政省General Post Office(GPO)が独占的に行う権限を得たが、電話はなお民間企業が運営することができた。しかし、19世紀末からしだいに政府の規制が強まり、電話事業は郵政省の認可事業となった。そして1912年には最大の民間電話企業であったナショナル・テレフォンNational Telephone Co.の事業が郵政省によって引き継がれ、これにより電話事業は完全に国営事業となった。

[安部悦生]

公社から民営企業へ

1912年のナショナル・テレフォンの国営化から半世紀余りの間、電話事業は国家の直営事業であったが、1964年労働党政権の郵政大臣であったトニー・ベンAnthony Wedgewood-Benn(1925―2014)によって郵便事業を公社に転換する提案がなされた。そして1969年郵便・電話事業は、国の組織から独立した国有企業である公社public corporationに組織変更された。1981年には新たに成立した電気通信法に基づき、郵便事業と電話事業は分離されてそれぞれ独立した公社に再編され、BTグループの前身であるブリティッシュ・テレコム(BT)が誕生した。さらに1984年にBTはほかのヨーロッパ各国にさきがけて民営化され、公開株式会社となった。民営化当初は政府が株式の48.6%を所有していたが、漸次売却され、1993年にはほとんどが放出された。この民営化によって政府は50億ポンドの資金を得たほか、75万人の新たな株主を創出した。

 民営化と同時にBTは電話事業システムの独占権を失い、競争企業が台頭するようになった。またBT自身も民間事業として、1984年に設置された規制機関である電気通信庁Office of Telecommunications(OFTEL(オフテル))の監督を受けることになった。1981年にブリティッシュ・ペトロリアム(BP)、バークレーズ(Barclays PLC)、ケーブル・アンド・ワイヤレス(C&W)によって新規業者のマーキュリー・コミュニケーションズMercury Communications Ltd.が設立され、BTと2社体制で競争することになった。

 1981年にBTは無線電話の分野に進出、1985年セキュリコーSecuricor Group plcとの合弁で携帯電話など移動体通信サービスを提供するセルネットCellnetを立ち上げた(後に完全子会社化してBTセルネットに改称)。1989年にはアメリカのモバイル企業マッコーセルラーMcCaw Cellular Communications, Inc.の20%持ち分を9億ポンドで買収。しかし、競争相手に強力な新興企業ボーダフォンVodafone(1982年創業)が存在していたため苦戦を強いられた。

[安部悦生]

通信戦国時代――1990年代以後

1980年代の通信自由化以降、イギリスではBTとマーキュリーが市場を独占してきたが、1991年にはこうした複占状態が改められ、より多くの企業の参入を促す方向に政府の政策が変更された。1990年代初め、BTは電話加入者数で世界第6位の電話会社であったが、しだいに主流は鋼線から光ファイバーに移行し、BTは競争上不利になりつつあった。

 1990年代は競争がさらに激化し、約150社が通信産業に参入して国際提携も活発化した。1994年にBTはアメリカのMCIコミュニケーションズMCI Communications Corp.(当時全米第2位)の株式20%を約30億ポンドで買収し、法人向け通信サービスの合弁会社コンサートConcert Communication Co.を設立。1996年にはMCIとの合併計画を発表、英米をまたぐ巨大連合として大きな話題となったが、1997年新興勢力のワールドコムWorldCom Inc.による対抗買収案をMCIが受け入れたため、MCI社の持株をワールドコムに70億ドルで売却した。MCI買収に失敗したBTは、1998年9月合弁会社のコンサートを完全子会社化し、1999年にAT&Tと提携、両社の国際通信部門を統合した新生コンサートを発足させた。AT&Tとの提携は、通信の大規模な国際再編として注目されたものの、新興企業との価格競争の激化などから成長軌道に乗せることができず、2001年にコンサートは解散した。

 BTは資本提携による競争の勝ち残りを図り、ノルウェーデンマーク、ドイツ、日本(KDD、現・KDDI)など世界各国の通信会社との提携を進めてきた。しかし、通信をめぐる環境が激しく変化するなか、こうした出資の多くは期待どおりの収益を生まず、2001年に至って赤字(3億7000万ポンド)に転落、同年の負債総額は279億ポンドに上った。2000年時点のBTの事業は、(1)リテール部門(小口顧客向け通信サービス)、(2)ホールセール部門(事業者向け通信サービス)、(3)企業向けブロードバンド事業、(4)インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)、(5)携帯電話事業(BTセルネット)、(6)イエローページ事業、の6部門からなった。しかし業績悪化を受けて、2001年イエローページ事業を売却し、2002年にはBTセルネットを分離独立(その後mmO2、O2に買収され現在はテレフォニカTelefónica S.A.)、固定電話事業を中心に4部門に集約している。1990年代に入って従業員の削減も図った。BTグループの2012年の売上高は193億ポンド、税引前利益は2億7390万ポンド。

 日本法人BTジャパンが1985年(昭和60)に開設されており、2006年(平成18)にはKDDIとの合弁会社KDDI & BTグローバル・ソリューションズを設立。また、BTは1999年に日本テレコム(現、ソフトバンクテレコム)と資本提携したが、2001年に所有株をボーダフォンに売却している。

[安部悦生]

『電気通信総合研究所・情報通信総合研究所編『テレコム競争時代』(1986・コンピュータ・エージ社)』『規制緩和・民営化研究会編『欧米の規制緩和と民営化――動向と成果』(1994・大蔵省印刷局)』『菅谷実・高橋浩夫・岡本秀之編著『情報通信の国際提携戦略』(1999・中央経済社)』『福家秀紀著『情報通信産業の構造と規制緩和――日米英比較研究』(2000・NTT出版)』『John M. HarperMonopoly and Competition in British Telecommunications ; The Past, the Present and the Future(1997, Cassell PLC, London)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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