世界大百科事典(旧版)内の51年綱領の言及
【六全協】より
…〈党の統一にかんする決議〉では,1950年に発生した分裂・抗争の責任が当時の指導部にあることが明らかにされ,〈伊藤律の除名確認〉が決定された。しかしこの会議は,党内分裂状態のもとで進められ,平和的手段による革命の可能性を否定し,日本に植民地・従属国の革命路線を適用した〈51年綱領〉の影響下にあり,第7回大会にいたる過渡的な性格をもつものであった。また,この場で書記長徳田球一の死去(1953年10月)が公表された。…
※「51年綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」