黒田騒動(読み)くろだそうどう

精選版 日本国語大辞典 「黒田騒動」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐そうどう ‥サウドウ【黒田騒動】

江戸初期、九州福岡黒田家の御家騒動。主君忠之の失政による改易をおそれ、家老栗山大膳が寛永九年(一六三二)幕府に忠之謀反を訴え、失政のもとである寵臣倉八十太夫の罪を公認させて、黒田家の存続に成功し、自分は南部家お預けを甘んじたという事件幕末から明治にかけて、実録もの、講談、歌舞伎にとり入れられた。

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デジタル大辞泉 「黒田騒動」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐そうどう〔‐サウドウ〕【黒田騒動】

江戸初期、筑前福岡藩黒田家の御家騒動藩主忠之と家老栗山大膳との確執から、寛永9年(1632)大膳は忠之に謀反心のあることを幕府に出訴。翌年、裁定があって黒田家は存続、大膳は陸奥盛岡藩南部家に預けられた。講談・歌舞伎などに脚色。

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改訂新版 世界大百科事典 「黒田騒動」の意味・わかりやすい解説

黒田騒動 (くろだそうどう)

近世初期の福岡藩黒田氏の御家騒動。1623年(元和9)藩主となった忠之は孝高(よしたか)(如水),長政の代からの譜代の功臣を退けて倉八十太夫らの側近を重用,そのうえ,軍船鳳凰丸の建造,足軽隊の増強など幕令をはばからぬ行為が多かった。家老栗山大膳(譜代功臣利安の嫡子)はしばしば忠之をいさめたが,忠之はかえって大膳を亡きものにせんとしたので,32年(寛永9)大膳は豊後府内藩主竹中采女正とともに江戸にのぼり,忠之に謀反の心あるの旨を幕府に訴え出た。翌年,幕府は忠之および大膳らを尋問,その結果,忠之は謀反の意志はないとして許され,大膳は盛岡藩にお預けとなった。この事件は忠之の失政が表面化するに先だって大膳が忠之を幕府に訴えることによって,未然に主家を救おうとしたものといわれている。事件のてんまつは《列侯深秘録》所収の〈磐井物語〉〈栗山大膳記〉〈西木子紀事〉に詳述されている。
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黒田騒動を題材にした実録体小説が現れ,講釈師によって語られるうちに内容豊かになっていった。18世紀末か19世紀初め成立の《箱崎文庫》(30巻),幕末成立の《寛永箱崎文庫》(50巻)などがある。また歌舞伎お家物の一系統を成すに至った。講釈で普及したのを歌舞伎に脚色した最初は,1852年(嘉永5)8月江戸中村座の3世瀬川如皐(じよこう)作《御伽譚博多新織(おとぎばなしはかたのいまおり)》で,75年10月東京新富座の河竹黙阿弥作《筑紫巷談浪白縫(つくしこうだんなみのしらぬい)》や,77年大阪戎座(えびすざ)の勝能進作《玉櫛笥箱崎文庫(たまくしげはこざきぶんこ)》などを経て,黙阿弥が前記作を《博多新織》に近づけて改作した82年11月東京新富座の《黒白論織分博多(こくびやくろんおりわけはかた)》を決定版としてよかろう。9世市川団十郎が鳥山(栗山)大膳をつとめた。のち,1918年6月,東京帝国劇場で右田寅彦作の《栗山大膳》が上演された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒田騒動」の意味・わかりやすい解説

黒田騒動
くろだそうどう

江戸時代初期、福岡藩に起こった御家騒動。1623年(元和9)黒田長政(ながまさ)の死後長子の忠之(ただゆき)が第2代福岡藩主となり、重臣栗山大膳(だいぜん)(1591―1652)が長政の遺言によって忠之を補佐した。しかし忠之は大膳ら旧臣を遠ざけて新参の倉八十太夫(くらはちじゅうだゆう)を重用、大膳らの諫言(かんげん)をいれず、大船鳳凰(ほうおう)丸の建造や足軽隊の新設など幕府の大名取りつぶしに口実を与える行為が重なった。このため両者はしだいに対立するようになり、ついには忠之が大膳を殺そうとしたため、1632年(寛永9)大膳は忠之が謀反を企てていると幕府に訴え出た。翌年幕府は忠之を尋問、大膳と黒田家の重臣を対決させた。この結果、謀反の事実はないとして、忠之の所領はいったん没収されたのち、先祖の軍功を理由に再安堵(あんど)され、倉八十太夫は高野山(こうやさん)へ追放、栗山大膳は南部(盛岡)藩に預けられ幕府より千人扶持(ぶち)を与えられ事件は落着した。大膳は忠之の失政によって黒田家が取りつぶされることを恐れ、わざと幕府に訴え出てこれを未然に防ごうとしたともいわれるが、真相は不明。読み物として潤色された『寛永箱崎(はこざき)文庫』などがあり、講談、歌舞伎(かぶき)などによっても上演され、加賀騒動、伊達(だて)騒動などとともに広く世間に知られた。

[柴多一雄]

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百科事典マイペディア 「黒田騒動」の意味・わかりやすい解説

黒田騒動【くろだそうどう】

江戸初期の筑前福岡藩黒田家の御家騒動。藩主黒田忠之(長政の子)らと,その失政を批判する家老栗山大膳らとの対立が激化し,幕府が介入したが,栗山は盛岡藩お預けとなり(1663年),黒田家は取りつぶしを免れた。のち実録物,歌舞伎などの題材となり,一系統をなした。
→関連項目御家騒動

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒田騒動」の意味・わかりやすい解説

黒田騒動
くろだそうどう

江戸時代前期,筑前黒田藩に起きた御家騒動。2代藩主黒田忠之は倉八十太夫を重用して専制を行い,幕府の諸侯取りつぶし策に口実を与える事件を続発させた。そこで筆頭家老栗山大膳は,失政を理由とした藩の取りつぶしを防ぐため,寛永9 (1632) 年,忠之に逆意がある旨を幕府に訴えたが,対決の結果忠之が勝ち,除封を免れ藩の危急を救い,栗山は南部藩 (→盛岡藩 ) へ預 (あずけ) ,倉は高野山へ追われた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「黒田騒動」の解説

黒田騒動
くろだそうどう

江戸初期,筑前福岡藩におこった御家騒動
2代藩主黒田忠之 (ただゆき) (長政の子)の専制に対し,家老栗山大膳が,失政を理由とする御家取りつぶしをおそれ,苦肉の策として,忠之が幕府への謀反を計画していると直訴 (じきそ) した事件。その結果,忠之に反意がなかったことが判明して除封を免れ,栗山は南部藩にお預けとなった。

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デジタル大辞泉プラス 「黒田騒動」の解説

黒田騒動

1956年公開の日本映画。監督:内田吐夢、原作:北条秀司、脚色:高岩肇、撮影:吉田貞次。出演:片岡千恵蔵、大友柳太朗、片岡栄二郎、高堂国典、南原伸二、原健策、薄田研二ほか。三大お家騒動のひとつと言われる福岡藩の黒田騒動を描く。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「黒田騒動」の解説

黒田騒動
(通称)
くろだそうどう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
御伽譚博多新織 など
初演
嘉永5.8(江戸・中村座)

黒田騒動
くろだそうどう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治18.11(大阪・中座)

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