黒川嘉兵衛(読み)くろかわ・かへえ

朝日日本歴史人物事典 「黒川嘉兵衛」の解説

黒川嘉兵衛

生年生没年不詳
幕末幕臣嘉永6(1853)年浦賀奉行組頭。翌安政1(1854)年にペリーが再来した際,その交渉事務を担当,次いで吉田松陰の海外渡航未遂事件でこれの訊問に当たった。安政の大獄免職差控に処せられたが,文久3(1863)年7月一橋家用人見習に採用され,翌元治1(1864)年2月番頭兼用人,平岡円四郎と共に徳川慶喜を補佐した。慶応2(1866)年8月疎まれて一橋家用人を去る。鳥羽伏見の戦の後の明治1(1868)年2月目付に登用され,上洛して徳川救済の嘆願を行った。晩年は京に住み,末路は不明。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒川嘉兵衛」の解説

黒川嘉兵衛 くろかわ-かへえ

?-? 幕末の武士
幕臣。浦賀奉行組頭として,嘉永(かえい)7年(1854)アメリカ使節ペリーとの事務折衝にあたる。同年下田奉行組頭に転じ,密航をくわだてた吉田松陰の尋問を担当する。安政の大獄で免職となるが,のち徳川慶喜(よしのぶ)につかえ,一橋家の用人から徳川家の目付となった。名は雅敬。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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