黄華(読み)こうか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄華」の意味・わかりやすい解説

黄華
こうか / ホワンホワ
(1913―2010)

中国の外交官河北省磁(じ)県出身。1935年北京(ペキン)の燕京(えんきょう)大学卒業。1936年中国共産党入党。アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーの延安入りに同行、スノーと毛沢東との会見で通訳を務める。1949年解放後の南京(ナンキン)軍事管制委員会外事処長。1953年朝鮮戦争休戦交渉、1954年ジュネーブ会議に参加。1956年外務省西欧局長、1966~1969年駐アラブ連合(エジプト大使。「文化大革命」中に批判を受けず任地にとどまった唯一の大使であった。1971年国連安保理事会初代常駐代表となる。1973年党中央委員。1976年外相に就任、1978年(昭和53)日中平和友好条約調印。同年には鄧小平副首相、1980年には華国鋒首相、1982年には趙紫陽首相の日本訪問に随行。1980年副首相。1982年内閣国務委員。党中央委員。1982年11月ブレジネフ葬儀に参加、久々の中ソ外相協議を行い、帰国後、外相を辞任した。

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄華」の意味・わかりやすい解説

黄華
こうか
Huang Hua

[生]1913.1.25. 河北
[没]2010.11.24. 北京
中国の外交官。北京燕京大学卒業。 1936年中国共産党入党。紅軍総司令部の通訳,秘書などをつとめ,外事部門の責任者を経て 53年外交部参事,板門店朝鮮戦争休戦会談代表。 54年ジュネーブ会議中国代表団顧問。同年 10月外交部西欧アフリカ局長。 55年アジア=アフリカ会議中国代表団顧問。 60年よりガーナ,エジプト,カナダ,国連駐在大使などを歴任する。 70年代米中接近のなかで中央三人組のメンバーとして H.キッシンジャーと接触した。 73年十全大会,77年十一全大会,82年十二全大会で中央委員に連続当選。 76年 12月外交部長,80年9月国務院副総理兼外交部長,82年5月より国務委員兼外交部長をつとめた。 83年6月より全人代常務委員会副委員長,87年 10月十三全大会で中央顧問委員会常務委員に選出。中国に返還後のホンコンへの派兵問題で 鄧小平の不満を買ったことがある。

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普及版 字通 「黄華」の読み・字形・画数・意味

【黄華】こうか

菊。

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