黄瀬川・黄瀬川宿(読み)きせがわ・きせがわしゆく

日本歴史地名大系 「黄瀬川・黄瀬川宿」の解説

黄瀬川・黄瀬川宿
きせがわ・きせがわしゆく

大岡おおおかのうちの木瀬川きせがわを遺称地とし、一帯に比定される。中世東海道が黄瀬川を渡るところで、同街道の宿駅として栄えた。黄瀬河・木瀬河などとも書く。黄瀬川の氾濫によって形成された中洲には北中宿きたなかじゆく・南中宿の字が残る。なお後述源頼朝と源義経が当地で再会したときに座ったとの伝承がある対面石が現清水しみず八幡やはたの八幡神社境内にあり、また後代ではあるが慶長七年(一六〇二)徳川家康が同神社に寄進した「木瀬河之内弐拾石」(八幡神社所蔵文書)にあたる地が、近世の八幡村地内にあったことなどから、中世の黄瀬川(木瀬川)は川の流路変更などが要因となって、現右岸の木瀬川地区ばかりではなく、対岸の八幡地区などを含んでいたことがあったとも考えられる。治承四年(一一八〇)八月一七日、源頼朝は伊豆国一宮三嶋社(三嶋大社)の祭礼日に併せて挙兵し、同国目代山木兼隆を討取った。このとき兼隆の郎従の多くは三嶋社の祭礼後に「黄瀬河宿」に逗留していたといい、すでに当地が東海道の宿として機能し、また遊興の場ともなっていたことがうかがえる。同年九月二〇日、頼朝は土屋宗遠を甲斐に派遣、武田太郎信義以下の甲斐源氏に対して「黄瀬河辺」に集結することを求めている。翌一〇月一八日、当地に着いた頼朝は甲斐・信濃源氏らと会い、翌日には頼朝の「黄瀬川御旅亭」に天野遠景が伊東祐親を連行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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