黄永勝(読み)こうえいしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄永勝」の意味・わかりやすい解説

黄永勝
こうえいしょう / ホワンヨンション
(1910―1983)

中国の軍人湖北(こほく/フーペイ)省咸寧(かんねい)県出身。1927年毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の湖南秋収蜂起(ほうき)に参加。1932年紅一軍団(軍団長、林彪(りんぴょう/リンピァオ))一師団三連隊長。瑞金(ずいきん/ロイチン)周辺で蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)軍の封鎖に反撃。1934年長征に参加。1937年改編された八路軍(はちろぐん)一一五師団(師団長、林彪)の連隊長となり抗日戦に参加。国共内戦では1947年冀熱(きねつ)軍区分区司令。1950年新中国の中南軍政委員。1952年四野戦軍(司令、林彪)参謀長。1955年広州部隊司令、大将。1956年党中央委員候補。1968年広東(カントン)省革命委員会主任。参謀総長。軍文革小組長。文革派主流として天安門上序列10位。1969年党政治局員。1971年参謀総長のまま林彪側近第一号として逮捕され、1981年林彪・江青(こうせい/チヤンチン)裁判で懲役18年の刑を受けた。

[高市恵之助・渋谷 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄永勝」の意味・わかりやすい解説

黄永勝
こうえいしょう
Huang Yong-sheng

[生]光緒33(1907).江西,永豊
[没]1983?
中国の軍人,政治家。 1927年9月,秋収暴動に参加。 1932年中国工農紅軍第1軍団の連隊長となってから,一貫して林彪のもとにあった。文化大革命初期一時批判されたが,林彪の保護を受けて文革推進派に加わり,広東省の奪権闘争を指導。 1968年楊成武に代わり,中国人民解放軍総参謀長に昇進し,1969年中国共産党中央政治局員となったが,1970年第9期中央委員会第2回全体会議で国家主席の設置を主張するなどして毛沢東から批判を受けた。 1971年9月林彪事件失脚。「林彪・江青反革命集団」裁判で 1981年1月懲役 18年の判決を受けた。

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