黄梅院(読み)こうばいいん

精選版 日本国語大辞典 「黄梅院」の意味・読み・例文・類語

こうばい‐いん クヮウバイヰン【黄梅院】

京都市北区紫野大徳寺町にある大徳寺の塔頭(たっちゅう)一つ。天正年間(一五七三‐九二小早川隆景創建本堂(国重要文化財)は安土・桃山初期の代表的建築として知られる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「黄梅院」の解説

黄梅院
おうばいいん

一五世夢窓疎石塔所。山号伝衣山。疎石は観応二年(一三五一)没。文和元年(一三五二)足利尊氏御教書を被り、疎石の門弟饗庭氏直が塔頭造営に着手(永徳三年「黄梅院文書目録」県史三)、方外宏遠が塔主として修造に当たった(文和三年三月「春屋妙葩等連署置文」同書)

室町初期の院領には常陸国結城ゆうき(現茨城県結城市)・色好・椿三ヵ村、越中国船見ふなみ山崎やまざき両村(現富山県下新川郡入善町)、鎌倉郡北深沢きたふかさわ郷、同郡小坪こつぼ(現逗子市)、上総国佐貫さぬき柿谷名(現千葉県君津郡大佐和町一帯)、武蔵国山崎郷(現東京都町田市)などがあった。当院修造のため文和三年一〇月二六日常陸国棟別銭が寄せられている(「関東公方足利基氏御教書」県史三)

黄梅院
おうばいいん

大徳寺の塔頭。南門を入った西側にある。天正年中(一五七三―九二)小早川隆景が春林宗俶を開山として創建し、隆景の死後その法名をもって院号とした(都林泉名勝図会)。「都林泉名勝図会」は「隆景ハ慶長二年六月十二日卒す六十四才、号黄梅院殿泰雲紹閑、」と記す。小早川隆景の造立した本堂、その南東端にある玄関・庫裏は国指定重要文化財。

黄梅院
おうばいいん

[現在地名]串原村 木根

村域西端に近い木根きねにあり、香林山と号し曹洞宗。本尊十一面観音。串原村唯一の寺。黄梅院由緒沿革書(当院蔵)によれば、寛永九年(一六三二)いわ盛巌せいがん(現岩村町)の僧宝山文鐘が、岩村城主松平和泉守の許しを得て当寺を開基したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黄梅院」の解説

黄梅院 おうばいいん

武田信玄女(たけだ-しんげんの-むすめ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android