鹿屋(市)(読み)かのや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿屋(市)」の意味・わかりやすい解説

鹿屋(市)
かのや

鹿児島県大隅半島(おおすみはんとう)中央部に位置する市。1941年(昭和16)鹿屋町と大姶良(おおあいら)村、花岡村が合併して市制施行。市名の由来はカヤの密生地であったところからという。1955年(昭和30)高隈(たかくま)村を編入。2006年(平成18)曽於(そお)郡輝北町(きほくちょう)、肝属(きもつき)郡吾平町(あいらちょう)、串良町(くしらちょう)を合併。北西部は森林資源に富む急峻(きゅうしゅん)な高隈山地、南部も450メートル前後の山地であるが、東部は広大な笠野原(かさのはら)、中央部は鹿屋原のシラス台地で、この両台地の間を肝属川がL字状に流れる。この曲部の谷底平野に市街地が形成されている。東九州自動車道の鹿屋串良ジャンクションが設置されている。国道220号が市域を横断しており、国道269号も北東から南西に通過、肝属川上流沿いから北部山地にかけて504号が走る。1580年(天正8)伊集院忠棟(いじゅういんただむね)が城下を整え鹿屋市(いち)を開設し、交易会所としてにぎわった。1887年(明治20)郡役所が垂水(たるみず)から移転し行政の中心に、また1936年(昭和11)鹿屋海軍航空隊の設置により軍都ともなり、第二次世界大戦末期は特攻基地として知られた。現在も海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれている。産業は商業が盛んで大型店や専門店が多く、北部では林業も行われる。農業は畑作中心でサトイモなどの野菜類、園芸畜産が主である。1967年完成の高隈ダムによる畑地灌漑(かんがい)で笠野原台地の農業が多角化してきた。高隈ダム(大隅湖)、高隈渓谷、浜田海水浴場などの観光地のほか、特攻隊慰霊塔がある。1981年国立(現、国立大学法人)鹿屋体育大学が設置された。面積448.15平方キロメートル、人口10万1096(2020)。

[田島康弘]

『『鹿屋』(1962・鹿屋市)』『『鹿屋市史』上下(1967・鹿屋市)』


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