鹿地亘(読み)かじわたる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿地亘」の意味・わかりやすい解説

鹿地亘
かじわたる
(1903―1982)

小説家評論家本名瀬口貢。大分県生まれ。東京帝国大学在学中、新人会に加入、農民争議などの実際運動も体験。福本イズムの強い影響を受け、『所謂(いわゆる)社会主義文芸を克服せよ』(1927)、『小市民性の跳梁(ちょうりょう)』(1928)ほかの先鋭な評論を書いた。その後コップ再建の責任者としてプロレタリア文学運動の退却期に方向転換を模索した。1934年(昭和9)の検挙後転向、中国へ脱出、反戦同盟の組織化に活動。第二次世界大戦後鹿地事件」に遭遇した。短編集『労働日記と靴』(1930)、『自伝的な文学史』(1959)、『回想記「抗日戦争」のなかで』(1978~80)ほかの著書がある。

[大塚 博]

『『自伝的な文学史』(1959・三一書房)』

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百科事典マイペディア 「鹿地亘」の意味・わかりやすい解説

鹿地亘【かじわたる】

小説家,評論家。大分県生れ。本名,瀬口貢。東大卒。在学中から活動をはじめ,日本プロレタリア芸術連盟,ナップ日本プロレタリア作家同盟に参加,プロレタリア文学運動の中心人物として活躍。日中戦争開始後,中国で反戦同盟を組織。帰国後の1946年11月,米軍キャノン機関に拉致され,約1年間監禁された(鹿地事件)。戦後は,日中友好に尽力した。小説に《労働日記と靴》《脱出》《火の如く風の如く》,回想に《自伝的な文学史》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿地亘」の解説

鹿地亘 かじ-わたる

1903-1982 昭和時代の小説家,評論家。
明治36年5月1日生まれ。東京帝大在学中にプロレタリア文学運動に参加し,昭和4年日本プロレタリア作家同盟を結成。11年上海へわたり,日中戦争中,重慶で日本人民反戦同盟を組織。26年米軍機関による監禁事件にあった(鹿地事件)。昭和57年7月26日死去。79歳。大分県出身。本名は瀬口貢。著作に「労働日記と靴」「自伝的な文学史」など。

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