鵜飼吉左衛門(読み)うがいきちざえもん

精選版 日本国語大辞典 「鵜飼吉左衛門」の意味・読み・例文・類語

うがい‐きちざえもん【鵜飼吉左衛門】

幕末水戸藩士。尊王攘夷運動奔走し、幕府刷新を求める戊午(ぼご)密勅を得る。安政大獄で、子、幸吉とともに刑死。寛政一〇~安政六年(一七九八‐一八五九

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鵜飼吉左衛門」の意味・わかりやすい解説

鵜飼吉左衛門
うがいきちざえもん

[生]寛政10(1798)
[没]安政6(1859).10.
江戸時代末期の水戸藩士。名は知信。拙斎と号した。鵜飼真教の子。叔父の水戸藩士鵜飼幸吉和益に養われた。天保年間 (1830~44) 京都留守居となったが,弘化3 (46) 年免職。なお藩主徳川斉昭の命を受け尊攘派公卿らと交わり将軍継嗣問題日米修好通商条約 (→安政五ヵ国条約 ) の勅許問題では,大老井伊直弼に反対。安政5 (58) 年戊午の密勅を子の幸吉に持たせて水戸藩主慶篤に手渡した。そのため父子とも安政の大獄に連座し,翌年斬刑。

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朝日日本歴史人物事典 「鵜飼吉左衛門」の解説

鵜飼吉左衛門

没年:安政6.8.27(1859.9.23)
生年:寛政10(1798)
安政大獄で刑死した水戸藩京都留守居役。諱は知信,字は子熊,拙斎と号す。尾張国(愛知県)中島村の生まれ。父は水戸藩士鵜飼真教,叔父知益の養子。天保14(1843)年京都留守居役,大番組,弘化1(1844)年,藩主徳川斉昭の隠居謹慎に際し処罰解除を公家に訴え,免職。斉昭藩政復帰後の嘉永6(1853)年に復職,水戸藩の朝廷工作に従事。日米修好通商条約勅許阻止に一応成功したが,井伊直弼ら南紀派のために徳川慶喜の将軍継嗣擁立の勅命獲得には失敗。安政5(1858)年8月,水戸藩あての密勅(戊午の密勅)を朝廷より受領,息子幸吉に勅書を斉昭のもとに運ばせた。密勅降下を工作したなどのかどで死罪。死に際し斉昭の安否を問うたという。

(吉田昌彦)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鵜飼吉左衛門」の解説

鵜飼吉左衛門
うがいきちざえもん

1798~1859.8.27

幕末期の尊攘派志士。水戸藩士鵜飼真教の次男。名は知信,号は拙斎。藩主徳川斉昭(なりあき)に仕え,斉昭の藩政復帰後は京都で活動。公卿の間に出入りして攘夷を唱え,将軍継嗣には一橋慶喜(よしのぶ)擁立のため奔走。病気のため戊午(ぼご)の密勅は子幸吉に伝達させたが,安政の大獄で父子ともに捕らわれ,江戸で斬首。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鵜飼吉左衛門」の解説

鵜飼吉左衛門 うがい-きちざえもん

1798-1859 幕末の武士。
寛政10年生まれ。鵜飼幸吉の父。常陸(ひたち)水戸藩の京都留守居役。藩にくだされた戊午(ぼご)の密勅にかかわる中心人物のひとり。この密勅が安政の大獄のきっかけとなり,幕府に捕らえられて安政6年8月27日処刑された。62歳。名は知信。字(あざな)は子熊。号は拙斎,聒翁。

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367日誕生日大事典 「鵜飼吉左衛門」の解説

鵜飼吉左衛門 (うがいきちざえもん)

生年月日:1798年2月12日
江戸時代末期の水戸藩京都留守居役
1859年没

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