鵜泊村(読み)うどまりむら

日本歴史地名大系 「鵜泊村」の解説

鵜泊村
うどまりむら

[現在地名]瀬棚せたな郡北檜山町字新成しんせい

明治二年(一八六九)から同三九年まで存続した後志国太櫓ふとろ郡の村。北は良瑠石らるいし村、南は久遠くどお太田おおた(現大成町)に接し、西は日本海に面する。村はウノトマリ、モエレトマリ(モイイマリ、もいのとまり)、「ニチウベ」(ニツチラヘ)、「ミダレノサキ」などを含んで成立。「蝦夷日誌」(二編)はウノトマリについて「図合船かゝり澗よろし。此処海岸より凡四、五丁も隔りて沖に岩石三ツ有。ウノトマリは則此石より起るか。此石に鵜多く住むが故ニ糞にて白くなりたり。其高凡そ三丈余ヅツも有。(中略)わが乗船此処まで到るや、フトロ運上屋より夷人乙名一人、番人一人小舟に棹さし、其の外小舟四五艘にして蟻附して此船を曳行也」と記す。

鵜泊村
うどまりむら

[現在地名]山北町鵜泊

西は日本海に面する漁村で、東にジャばやし(二八三・三メートル)がある。北は海に突出るたて岩を隔てて寝屋ねや村へ続く。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図に「大川分うどまり村」とあり、縄高七斗三升三合六勺で「本納なく」、また「合六斗六升 家七間 屋敷計」「□谷ヨリうと村へ五里」と記される。村の両側海べりに大岩が描かれる。正保国絵図では高四〇石余、村上藩領に属する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android