鴻池村(読み)こうのいけむら

日本歴史地名大系 「鴻池村」の解説

鴻池村
こうのいけむら

[現在地名]伊丹市鴻池・北野きたの一―六丁目・荻野おぎの一丁目・同三丁目・中野北なかのきた一丁目

武庫むこ川支流の天神てんじん川と天王寺てんのうじ川に挟まれた村で、新田中野しんでんなかの村の北に位置する。文禄三年(一五九四)九月荻野村・荒牧あらまき村と一括で宮木藤左衛門尉の検地を受けた(延享四年「荻野村書上帳」荻野部落有文書ほか)。慶長国絵図、元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では鳴池村とあるが誤写か。この段階では村切されておらず、石高は荒牧を本郷とし荻野と三ヵ村合せて一千七八二石余。寛永一二年(一六三五)頃の状況を記した尼崎藩戸田氏知行目録(大垣藩地方雑記)でも三ヵ村が一括されているが、正保国絵図(京都府立総合資料館蔵)では分離され、高四二〇石余。正保郷帳ではほかに新田高七二石余。寛文九年(一六六九)頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)は本田高四九七石余・新田高一〇六石余。摂津一国御改帳では幕府領大和小泉藩預地。元和三年尼崎藩領となり明治維新を迎える(伊丹市史)用水は天王寺川から取水する新池・大池(現黒池)・西之池・前之池、玉田たまだ川筋(天神川)から取水する玉田之池などがあった(宝暦六年「鴻池新田中野村付近水利絵図」松原家蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報