鴨川(市)(読み)かもがわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鴨川(市)」の意味・わかりやすい解説

鴨川(市)
かもがわ

千葉県南部、外房(そとぼう)海岸にある市。1971年(昭和46)鴨川町、江見(えみ)町、長狭(ながさ)町が合併して市制施行。2005年(平成17)、安房(あわ)郡天津小湊町(あまつこみなとまち)を合併。房総丘陵を南北に分ける地溝帯に沿って加茂(かも)川が東に流れ、長狭平野を形成する。海岸沿いにJR内房線(うちぼうせん)、外房線と国道128号が走り、西部を国道410号が縦断する。1929年(昭和4)国鉄房総線(現、JR外房線)が開通して南房総環状線が完成、内房・外房両線の終点となって発達の基礎が築かれた。古くアサを産するので長麻とよばれ、のち長狭郡となったが、源頼朝(よりとも)の家臣東条氏が金山(かなやま)城を築き、1445年(文安2)里見氏(さとみうじ)に攻められるまでこの地を支配した。江戸初期里見氏転封後は幕府の直轄地となり(のち一部は武蔵岩槻藩領などとなった)、海岸の前原では紀州漁民が「まかせ網」というイワシ網を伝えたために漁業が発達した。1868年(明治1)遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀(よこすか)の西尾氏が市域に入部して花房藩(はなぶさはん)3万5000石を領したが1871年には廃された。海岸には鴨川漁港をはじめ五つの漁港があり、イワシ、サバの沖合漁業が活発である。沿岸の畑地では冬季の温暖な気候を利用して、大正中期から露地の切り花栽培が導入され、江見を中心にユリ、バラ、ストックなどの花畑が一面に広がっている。平野部では米作ビニルハウスによる促成野菜栽培が行われるほか、嶺岡(みねおか)山地には嶺岡牧場があって酪農が盛んである。太海(ふとみ)フラワーセンターの近くに県指定名勝仁右衛門(にえもん)島があり、平野仁右衛門が源頼朝を救出した礼に島と漁業権を与えられたとの伝説がある。海岸は全域が南房総国定公園に属し、鴨川松島の景勝地や海水浴場が各地にあり、海洋レジャーセンターの鴨川シーワールドもある。加茂川上流北風原(ならいはら)の羯鼓(かっこ)舞は春日(かすが)神社の雨乞(あまご)い行事で、吉保八幡(きっぽうはちまん)の流鏑馬(やぶさめ)とともに県指定無形民俗文化財である。面積191.14平方キロメートル、人口3万2116(2020)。

[山村順次]

『『鴨川沿革史』上中下(1961~1964・鴨川市)』


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