鳴門中将物語(読み)ナルトチュウジョウモノガタリ

デジタル大辞泉 「鳴門中将物語」の意味・読み・例文・類語

なるとちゅうじょうものがたり〔なるとチユウジヤウものがたり〕【鳴門中将物語】

鎌倉時代物語。1巻。作者未詳。文永9年(1272)以後成立後嵯峨天皇に見そめられたある少将の妻が、その機知によって天皇寵愛ちょうあいを受ける。夫は中将に昇進し、鳴門は良い海布のとれるところから良きをかけて鳴門中将とよばれたという。なよ竹物語。

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精選版 日本国語大辞典 「鳴門中将物語」の意味・読み・例文・類語

なるとちゅうじょうものがたり なるとチュウジャウものがたり【鳴門中将物語】

鎌倉後期の物語。一巻。著者不明。文永九年(一二七二)以後の成立。後嵯峨天皇に見染められた人妻が、その機知によって帝の寵を受け、その縁で夫も中将に昇進する。鳴門はよきめ(わかめ)の出る所で、これによきめ(妻)をかけて男は鳴門中将と呼ばれる。事実を物語化したもの。なよたけ物語。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳴門中将物語」の意味・わかりやすい解説

鳴門中将物語
なるとのちゅうじょうものがたり

実録風物語。作者不明。13世紀末の成立か。『なよ竹物語』ともいう。後嵯峨(ごさが)天皇(在位1242~46)は蹴鞠(けまり)見物のときにみかけた女に執心したが、女は「なよ竹の」と古歌を踏まえて拒絶した。あきらめきれぬ天皇は、少将の妻であるその女を、夫の了解を得て、召して寵愛(ちょうあい)した。男2人は、よき君臣というべきである。やがて中将に昇進した夫は、よき妻(め)(海草(わかめ)の意をかける)をもった鳴門中将とよばれてうらやましがられたという話。宮廷貴族文化の爛熟(らんじゅく)した時期の風俗の一端が語られている。伝本のなかには国宝絵巻がある。また『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』のなかの一説話ともなっている。

[桑原博史]

『永積安明著『中世文学論』(1944・日本評論社)』

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百科事典マイペディア 「鳴門中将物語」の意味・わかりやすい解説

鳴門中将物語【なるとちゅうじょうものがたり】

鎌倉後期の短編物語。1巻。《なよ竹物語》としても伝流。作者不詳。実在の登場人物の官位呼称などから,物語は1251年春から夏を舞台としている。末尾部に《御さがの御門》と後嵯峨天皇の諡号表記があり,それに従えば1272年以降の成立。後嵯峨天皇が蹴鞠の場で一人の女房を見初め,《大和物語》90などに所収の和歌〈高くとも何にかはせむくれ竹の……〉を踏まえた謎懸けを解いて召し寄せる。女房の夫の少将はその縁で中将に昇進したので世人から鳴門(名産ワカメとよき女(め)をかける)中将とあだ名されたというもの。鎌倉時代の成立で,後深草天皇によって白峯寺へ施入されたという《奈与竹物語絵巻》1巻(金刀比羅宮蔵,重文)が現存し,また一話全部が《古今著聞集》331(巻8好色)に後補の形で収められてもいる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳴門中将物語」の意味・わかりやすい解説

鳴門中将物語
なるとちゅうじょうものがたり

鎌倉時代後期の物語。『なよ竹物語』ともいう。作者未詳。1巻。後嵯峨天皇の逸話を記した実録風の物語で,崩御の文永9 (1272) 年後の成立であるが,『乳母草子』や『思ひのままの記』に名がみえるので,それよりあまり遠くない時期の作かとされる。『古今著聞集』巻八に入っているが,後人の増補による。現存本はいずれも増補,改訂を経た本で,2種類に分れ,最古のものは鎌倉時代とされる絵巻物である。弥生の頃,帝が御所の鞠の会の見物中に美人を認め,蔵人に追わせると,女は「なよ竹の」と古歌の1句で答える。ようやくその意味は解いたが,女を見失い,陰陽師の占いにより夏にこの女を見つけると某少将の妻であった。やむをえず妻を参上させた夫の少将は,やがて中将となり近習に加えられたが,鳴門中将 (「よきめ」にかけて) とあだ名された。

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