鳴瀬堰堤(読み)なるせえんてい

世界大百科事典(旧版)内の鳴瀬堰堤の言及

【江の川】より

…三次から江津までの下りは1日で足りたが,上りには数日を要した。舟運は沿岸の〈たたら〉や石見銀山の衰退に伴って明治末期から徐々に少なくなり,大正以降は発電用の鳴瀬堰堤(なるせえんてい)の築造(1919),道路改修と自動車通行,三江北線の開通(1937)によって完全に消滅していった。しかし,舟運に代わるはずであった三江線の全線開通は1975年8月まで待たなければならず,またこの間に1973年の豪雪や1972年の水害なども災いして流域の過疎化が進んだ。…

※「鳴瀬堰堤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」