鳥羽・伏見の戦い(読み)とばふしみのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥羽・伏見の戦い」の意味・わかりやすい解説

鳥羽・伏見の戦い
とばふしみのたたかい

戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼打ちし、1868年(慶応4)1月2日、旧幕側は、幕兵、会津桑名両藩兵ら1万5000人を北上させた。新政府も、薩摩長州両藩兵ら4500人を出し、1月3日、両軍は、京都郊外の鳥羽伏見衝突し、数では3分の1に満たないものの、装備と士気に勝る新政府軍が幕府軍を1日で退却させ、6日に戦いが終了し、慶喜は海路江戸へ逃れた。この結果、新政府内での討幕派の主導権が確定し、2月9日、慶喜追討軍が東征に向かうこととなった。

[井上勝生]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥羽・伏見の戦い」の意味・わかりやすい解説

鳥羽・伏見の戦い
とば・ふしみのたたかい

明治新政府と旧幕府との間の武力衝突。薩摩藩西郷隆盛らは,江戸市中を攪乱して旧幕府側を挑発し,これに憤激した会津,桑名を主力とする佐幕系兵力は,老中格大河正箕を総督とし,徳川慶喜の本営大坂城を出発,京都南郊の鳥羽,伏見から京都へ進撃しようとした。慶応4 (1868) 年1月3日薩摩,長州を中心とする新政府軍と衝突,佐幕派の兵力がまさっていたが,装備力で劣勢だったために敗れ,慶喜は江戸へ敗走した。引続いて徳川追討の軍事行動が起されることとなり,戊辰戦争が始った。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鳥羽・伏見の戦い」の解説

鳥羽・伏見の戦い
とば・ふしみのたたかい

1868年1月,京都南郊の鳥羽・伏見で行われた新政府軍と旧幕府軍との戦い
王政復古後も薩長の武力討幕派は徳川慶喜 (よしのぶ) の内大臣辞官・納地を要求するとともに,江戸で薩摩藩が挑発的行為にでたので,憤激した旧幕府軍の会津・桑名藩兵は「君側の奸を払う」との名目のもとに大坂から入京しようとして,鳥羽・伏見で交戦し敗退。戊辰 (ぼしん) 戦争の発端となった。

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防府市歴史用語集 「鳥羽・伏見の戦い」の解説

鳥羽・伏見の戦い

 1868年に江戸幕府の兵が薩摩[さつま]・長州[ちょうしゅう]の兵をうつため、大阪から京都に入ろうとして、鳥羽[とば]と伏見[ふしみ]で起こった戦いです。結果は、江戸幕府軍の大敗でした。

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