魏晋南北朝時代(読み)ぎしんなんぼくちょうじだい

百科事典マイペディア 「魏晋南北朝時代」の意味・わかりやすい解説

魏晋南北朝時代【ぎしんなんぼくちょうじだい】

中国で,後漢滅亡(220年)から隋による統一(589年)までの時代。黄巾の乱などに触発された後漢末の混乱で,各地に割拠した群雄の一つ魏によって後漢が滅ぼされると,(曹操・曹丕(そうひ),洛陽)・(劉備,成都)・(孫権,建業)の三国が分立した(三国時代)。やがて魏が蜀を滅ぼしたが,魏をその権臣司馬炎(武帝)が倒してを樹立し,最後に呉を滅ぼして統一した(280年)。しかし晋も帝位をめぐる争いと北方民族の侵入で弱体化し,侵入してきた匈奴によって首都洛陽,ついで長安を占領されて滅亡(316年),翌年,王族司馬睿(しばえい)が建康(呉の首都としては建業。現在の南京)で即位した。これを東晋といい,南渡以前の晋を西晋ともいう。華北では,匈奴の動きによって刺激された鮮卑など,北方あるいは西北方の異民族が相次いで侵入してきた。この匈奴・鮮卑・(けつ)・【てい】(きょう)を五胡といい,五胡の建てた国が多数興亡したので五胡十六国という。やがてこれらの中から鮮卑族の拓跋氏(たくばつし)の建てた北魏(386年―534年)が華北を統一した(439年)。北魏は内争から東魏・西魏に分裂,さらに東魏は北斉に,西魏は北周にかわられた。これら北魏以降の5王朝を北朝という。一方,東晋の成立で,華北の漢人の貴族豪族や多くの農民が戦乱を避けて江南に移住してきており,開発途上にあった長江の中・下流域が急速に発達した。東晋も約100年余で倒れ(420年),その後はの4王朝が短期間に興亡した。これを南朝といい,北朝と中国を2分したので南北朝とも呼び,三国の分立(後漢の滅亡)以来をあわせて魏晋南北朝ともいう分裂・抗争の時代であった。 後漢末から南北朝にかけて,各地の豪族が土地・人民を支配して勢力をはり,三国の魏で始まった九品官人法などの官吏任用制度を通じて上級官職を独占,結果的には豪族が貴族階級を形成していった。豪族の土地兼併によって土地を失った多くの小農民は,各地を流浪したり豪族の奴隷になったため,国家が直接支配する土地・人民が減少し,その対策として三国の魏では屯田制,西晋では占田・課田制,北魏では孝文帝のときに均田制が実施されたが,豪族による大土地所有の進行をとめるにはいたらなかった。均田制は隋・唐に受け継がれて制度としては完成する。この時代,北朝では異民族の武人政権で質実剛健の気風をうんだが,南朝では門閥を形成した貴族が政権を左右した。それは反面,この時代の文化の中心が江南に移ったことを意味し,三国の呉以来,陳まで6王朝が建康(建業)を都としたため,文化史上では特に六朝(りくちょう)時代・六朝文化と呼び,絵画や詩文などに優雅・華麗な中国的貴族文化が開花した。また4世紀後半から仏教が盛んとなり,西域から僧侶が来中して仏典の翻訳などに活躍し,さらに道教が北魏の寇謙之(こうけんし)によって初めて教団化された。→六朝文化
→関連項目中華人民共和国南学南北朝

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旺文社世界史事典 三訂版 「魏晋南北朝時代」の解説

魏晋南北朝時代
ぎしんなんぼくちょうじだい

220〜589
後漢 (ごかん) 滅亡から隋の再統一まで360余年の分裂時代
三国(魏・呉 (ご) ・蜀 (しよく) ),晋(西晋・東晋),五胡十六国,南北朝を包括する。後漢末期に豪族の勢力が強大化して分裂時代を迎え,北方民族の華北侵入によって混乱し,南北朝が対立した。漢民族による江南開発が進み,ここに伝統的な貴族社会が形成された。華北では,異民族王朝が成立して豪族を抑え,制度を整えて強大な国家権力を確立し,ついに北方の隋が南北を統一した。江南には伝統的な貴族文化が栄え,道教が成立するとともに,仏教が盛んになり,清談が流行した。なお,建康(現在の南京)に都した呉・東晋・宋・斉・梁 (りよう) ・陳 (ちん) の6王朝を六朝 (りくちよう) と総称する。

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デジタル大辞泉 「魏晋南北朝時代」の意味・読み・例文・類語

ぎしんなんぼくちょう‐じだい〔ギシンナンボクテウ‐〕【魏晋南北朝時代】

中国で、後漢が滅亡し、の三国が分立した220年ごろから、全土を統一した589年に至る約370年間の時代。江南に興った南朝四国東晋を合わせて六朝りくちょうという。

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世界大百科事典 第2版 「魏晋南北朝時代」の意味・わかりやすい解説

ぎしんなんぼくちょうじだい【魏晋南北朝時代 Wèi Jìn nán běi cháo shí dài】

220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。しかしそれは400年に及ぶ秦・漢統一帝国の秩序原理に代わる新たな原理を模索した結果であり,決して単なる混乱と野蛮の時代ではなかった。

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