高青邱(読み)コウセイキュウ

デジタル大辞泉 「高青邱」の意味・読み・例文・類語

こう‐せいきゅう〔カウセイキウ〕【高青邱】

高啓こうけい

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精選版 日本国語大辞典 「高青邱」の意味・読み・例文・類語

こう‐せいきゅう カウセイキウ【高青邱】

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改訂新版 世界大百科事典 「高青邱」の意味・わかりやすい解説

高青邱 (こうせいきゅう)
Gāo Qīng qiū

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高青邱」の意味・わかりやすい解説

高青邱
こうせいきゅう

高啓

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世界大百科事典(旧版)内の高青邱の言及

【高啓】より

…中国,元末・明初の詩人。字は季迪(きてき),青邱,青邱子と号する。蘇州の人。数回の浙江地方への旅行と,一時期に南京の明王朝政府の官吏となったほかは,終身,蘇州の市内および近郊で一市民としてすごした。生涯の大部分は,蘇州を本拠として明と抗争した張士誠政権のもとにあり,明の太祖が独裁支配を確立するために起こした大テロルの犠牲となって殺された。短い生涯に,2000首以上の詩を残し,明代第一の詩人とされる。…

※「高青邱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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