日本大百科全書(ニッポニカ) 「高野聖(僧)」の意味・わかりやすい解説
高野聖(僧)
こうやひじり
高野山から出て諸国を遊行(ゆぎょう)回国し、弘法(こうぼう)大師空海と高野山の霊験(れいげん)を説いた僧。平安中期に高野山が火災や紛争で衰亡しようとしたとき、その復興資金を勧進(かんじん)によって集めるために始まった。したがって、その遊行回国は、高野山への参詣(さんけい)を勧めたり、納骨を勧めたりし、そのための唱導説経を行った。しかし高野聖を特色づけるのは、高野山が深山幽谷にあって俗世間から隔絶しているために、隠遁(いんとん)の高野聖が集まったことにある。単なる勧進聖ならばほかにも数多くあるけれども、道心堅固な隠遁の念仏聖が回国するということで、名声を博したのである。このような隠遁の高野聖は源平の争乱による敗残者の流入によって増大し、また華やかさを加えた。そして鎌倉時代には、蓮華谷(れんげだに)聖、萱堂(かやどう)聖、千手院(せんじゅいん)聖の三大集団を構成するまでになった。しかし室町時代には、世俗化した悪質の高野聖が天下を横行するようになり、江戸初期にはその遊行が禁止され、その一部は呉服を商う商聖(あきないひじり)になった。
[五来 重]
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