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(有馬学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
日本の労働組合運動の創始者。長崎に生まれ,東京,横浜で少年時代を送った。1886年アメリカに渡り,太平洋岸の各地で働きながら英語,経済学などを学んだ。この間,労働運動に関心をいだき,91年夏にはサンフランシスコで城常太郎(靴工),沢田半之助(洋服仕立工)らと職工義友会(〈労働組合期成会〉の項参照)を組織した。高野はジョージ・ガントンの《富と進歩》に感銘をうけ,〈高賃金は国内市場を拡大し国を富ます。労働組合運動は社会進歩の原動力である〉との説の信奉者となった。S.ゴンパーズの知遇を得,96年に帰国したときにはアメリカ労働総同盟(AFL)の日本オルグに任命されていた。97年7月片山潜らと労働組合期成会を結成し,同年12月には鉄工組合を創立してその常任幹事となった。また消費組合運動にも力を入れ,共働店を経営した。しかしいずれも成功せず,1900年には運動から手をひいて中国に渡り,青島で客死した。
執筆者:二村 一夫
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日本労働組合運動の創始者。統計学者高野岩三郎の兄。明治2年2月24日、長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡長崎区銀屋町(長崎市)に生まれる。1886年(明治19)に渡米し、アメリカ西部で働きつつ学んだ。91年に沢田半之助らと職工義友会を組織。やがてAFL(アメリカ労働総同盟)会長サミュエル・ゴンパーズの知己を得、AFLの日本オルグに任命され、日清(にっしん)戦争終結後の96年帰国。翌97年に沢田と「職工諸君に寄す」という檄(げき)を発して組合結成を呼びかけ、7月に労働組合期成会を結成して日本労働組合運動の創始者となったが、その思想は穏健な労働組合主義であり社会主義には反対であった。1900年(明治33)に入って労働組合運動が衰退に向かうと運動から手を引き中国に渡り、明治37年3月12日、青島(チンタオ)のドイツ病院で死去した。
[岡本 宏]
『ハイマン・カブリン編著『明治労働運動史の一齣』(1959・有斐閣)』▽『大島清著『高野岩三郎伝』(1968・岩波書店)』
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1868.11.24~1904.3.12
明治期の労働組合運動の先駆者。長崎県出身。岩三郎の兄。1886年(明治19)渡米。各地で多種の労働に従事し,労働問題に関心をもつ。91年には城常太郎(じょうつねたろう)らと職工義友会を組織,アメリカ総同盟会長と接触して日本オルグに任命された。帰国翌年の97年片山潜らと労働組合期成会を創立,日本初の近代的労働組合鉄工組合を組織。消費組合運動結成にも尽力。中国青島(チンタオ)で客死した。
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