高田 せい子(読み)タカタ セイコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高田 せい子」の解説

高田 せい子
タカタ セイコ


職業
舞踊家

肩書
現代舞踊家協会名誉会長

本名
中村 せい

生年月日
明治28年 9月13日

出生地
石川県 金沢市上伝馬町

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)ピアノ科中退

経歴
帝劇歌劇部の第1期生として入り、高田雅夫らに舞踊を習い、初めはコーラス部などにも参加。帝劇舞台へデビューしたのは大正4年。8年に高田と結婚。11年から13年までニューヨークロンドン巡演、帰国後高田舞踊研究所を創設。昭和4年夫の死後も江口隆哉ら多くの後進を育て、戦後山田五郎とともに研究所、舞踊団を設立。創作舞踊の作品に「ノーチの娘」「サロメ」「沈黙の花」などがある。(社)現代舞踊協会会長を務め、石井漠と並ぶ舞踊界の先達として活躍した。

没年月日
昭和52年 3月19日 (1977年)

家族
夫=高田 雅夫(舞踊家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高田 せい子」の解説

高田 せい子
タカタ セイコ

大正・昭和期の舞踊家 現代舞踊家協会名誉会長。



生年
明治28(1895)年9月13日

没年
昭和52(1977)年3月19日

出生地
石川県金沢市上伝馬町

本名
中村 せい

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科中退

経歴
帝劇歌劇部の第1期生として入り、高田雅夫らに舞踊を習い、初めはコーラス部などにも参加。帝劇舞台へデビューしたのは大正4年。8年に高田と結婚。11年から13年までニューヨーク、ロンドンを巡演、帰国後高田舞踊研究所を創設。昭和4年夫の死後も江口隆哉ら多くの後進を育て、戦後は山田五郎とともに研究所、舞踊団を設立。創作舞踊の作品に「ノーチの娘」「サロメ」「沈黙の花」などがある。(社)現代舞踊協会会長を務め、石井漠と並ぶ舞踊界の先達として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「高田 せい子」の解説

高田 せい子 (たかだ せいこ)

生年月日:1895年9月13日
大正時代;昭和時代の舞踊家。現代舞踊家協会会長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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