精選版 日本国語大辞典 「高田博厚」の意味・読み・例文・類語
たかだ‐ひろあつ【高田博厚】
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彫刻家。石川県七尾(ななお)に生まれる。1918年(大正7)上京して東京外国語学校イタリア語科に入学したが、21年中退、高村光太郎(こうたろう)の勧めでゴンデビの『ミケランジェロ伝』の訳注を始め、このころから彫刻を制作。27年(昭和2)大調和展、ついで国展に出品した。31年渡仏して37年にはパリ日本美術家協会を設立する。第二次世界大戦中もパリに滞在し、ロマン・ロランをはじめ多くの文学者、美術家と交遊、その彫像を制作している。57年(昭和32)帰国、新制作協会会員となった。文筆でも活躍し、訳著書が多い。
[三木多聞]
『高田博厚編著『素描ロダン・ブールデル・マイヨル』(1973・岩崎美術社)』▽『ゴンデヴィ著、高田博厚訳『美術名著選書21 ミケランジェロ伝』(1978・岩崎美術社)』
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…26年斎藤素巌(そがん)(1889‐1974),日名子実三(ひなこじつぞう)(1893‐1945)らは,建築と彫刻の結びつきを主張して構造社を結成する。また同年,国画創作協会に彫刻が加わったとき,ブールデルに学んで帰国した金子九平次(くへいじ)(1895‐1968)が中心となったが,28年に同会が国画会に改組すると,高村光太郎,清水多嘉示(たかし)(1897‐1981),高田博厚(ひろあつ)(1900‐87)らが加わった。さらに,39年国画会彫刻部は解散するが,36年に結成された新制作派協会に,新進の本郷進,柳原義達,佐藤忠良(ちゆうりよう),舟越保武らが結集する。…
※「高田博厚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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